龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

あまりに寛容過ぎる日本人

何が18歳選挙権成立か。私は51歳でこれまで毎回、選挙の時には投票してきたけれど、もう今後は投票する気にはなれない。馬鹿らしくて。
きちんと公正に票の集計が為されているかどうかわからないような選挙に何でわざわざ足を運ばなければならないのか。百歩譲って、実際には不正がなかったとしても今回の大阪市住民投票のように有権者の視点で少しでも疑わしい点があるのであれば、報道と開票状況等の関連において、不正が介在する余地がなかったことについてきちんと明々白々に説明がなされるべきではないのか。そういう意味では橋下市長の態度も非常に無責任であると言える。そもそも自分が仕掛けた住民投票であろう。大阪市の予算を9億円も使っておいて、敗北直後の潔い辞職会見などどうでもよいが、これほど僅差の結果でNHKの報道に不自然、不可解なところがあるのであれば質問するなり調査を命ずべきである。それが最も重要な首長の役割であるのではないのか。自分だけが納得していれば良いという問題ではないはずである。選挙や投票の公正性は全ての市民が了解しなければならない民主政治の根幹である。そうは言っても日本人はこういう国民性だから大抵の人間は心の内ではおかしいとは思っても波風が立たないように黙ってしまうものである。私の身の周りでも直後の翌日18日に話しをしたところ、おかしいと言う人がすぐに現れたぐらいである。よって大阪市全体、或いは大阪府や日本全体にまで範囲を広げれば相当数の人間が今回の結果について内心では怪しげな感想を持っているはずである。しかし内実のことまでは一般の有権者にはわかりようがないし、そういう疑いを持っても仕方ないことなので、口に出すこともなく無批判に受け止めているだけのことである。しかし政治家や張本人の橋下氏までもが一般人と同じような感覚では大いに困るというものだ。何のための政治家で、一体誰のための民主主義なのかということになる。
私は個人的には大阪市の職員が開票作業に携わっているのだから、不正が介在しているはずだと言うつもりはない。100%否定することはできないが、常識的に考えれば開票中に票の記載を消しゴムで消して書き換えたり、あらかじめ用意していたものと取り替えたりなど出来る訳がない。またそういう子供じみた疑惑を持っている人は、恐らくはいないであろう。しかし票数の集計において単に一部の賛成表と反対票の数を取り替えてカウントするという単純な方法であれば、ごく僅かの関係者と報道機関が協力すればいくらでも不正を行うことは可能ではないか。そういうことが有り得ないと言うのであれば、なぜ有り得ないのか、なぜその可能性がないのかという根拠こそが有権者に対して論理的にわかりやすく説明がなされるべきである。言うまでもないことだが開票や集計は有権者の目の届かない場所で行われているのである。はっきり言って、盲目的に信じるのはその人の勝手であるが、どうにかしようと思えばどうにでもできる領域のことなのだ。多くの観客が見ているサッカーの反則行為とは根本的に違うのである。我々の多額の税金が費やされているのだから、日本人はもっと素朴な疑問や不審に対して遠慮ばかりせずに声を上げるべきだと私は思う。そうでなければこの世に生きている意味すら自ら薄めているのと同じである。