龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

左翼思想の精神構造

「言葉の劣化」「政治家の劣化」「国会の劣化」、これは今朝の朝日新聞で作家の高村薫氏が安保関連法案成立について感想を述べている記事である。「政治家の劣化」はともかく(それは敢えて指摘するまでもないことで、この法案の特質を示すものではない)、ご自身の「言葉の劣化」特に「思考力の劣化」はどうなのかと反問したくなる。個人攻撃をするつもりはないが、そこで主張されている言辞は、いわゆる日本の左翼原理に準じている人種の硬直化した物の見方、全般的な思考停止をよく表出しているものと考えられるので具体的に紹介させていただきたい。
先ず最初に、高村薫氏は「言葉の劣化で、表に出てきたのが情緒や気分です。」と言う。つまり安保法制は現代の日本人全般の右傾化への情緒や気分によって醸成されてきた一つの雰囲気であって、その根底には言葉の劣化があると、そして明瞭、明晰に言語化され、説明され得る能力の欠落ゆえに、政治的な突出となって現れるのだということが主張されていると考えられる。このような主張は、左翼的な思考に共通するものである。朝日新聞の記事なども正にそうなのだが、言葉の選択、言葉の言い回し一つで世界をコントロールできると考えているが如き傾向性が大きい。そこにあるのは世界に対する謙虚さや畏れではなく、ある種の傲慢さなのである。自分の言葉だけで世界を掌中に収め、理想に近づいているといった錯覚の中に精神活動が常在していて、それを理解せぬ者は、言葉が劣化しているがゆえに全体の情緒や気分だけで導かれたり、自ら動いている程度の低い人種であると見下す態度が垣間見える。こういう思考パターンの人々は、物事の真相よりも自分の言葉の方に価値があると考えているところに特徴がある。よって真相を自分の言葉の言辞で故意に歪めたり、或いは自分自身の未熟な認識力ゆえに習慣的に歪んでしまっていることに対して反省が全くないし、平気なのである。極論すればそういうタイプの人々は自分の言葉(論理)が世界の全てなのだ。そして自分の言葉(論理)以外は全て情緒や気分の問題となる。
「「中国脅威論」が繰り返されますが、今や中国との関係は経済的に切れない。」
どこかで聞いてきたような文言だが、果たして本当にそうだろうか。これなども左翼の識者がよく使う言い回しである。たとえばGDPが世界2位の国と3位の国が戦争になる訳がない、そんなことになれば世界経済は吹っ飛んでしまうから必ず抑制が掛かるはずである。よって過剰な中国脅威論は、百害あって一利なし、というようなことが言いたいわけである。こういうことも左翼の言葉が現実の真相を凌駕して、見え難くさせてしまっている一例である。実際には日本だけでなく欧米などの国も中国への投資や工場などの現地生産は大きく撤退し始めてきている。来年度以降は益々その傾向が強くなることであろう。中国バブルは今まさに弾けつつあるし、何よりもいつ何が起こるかわからないというチャイナリスクが大きすぎるのである。環境問題や人権問題などから見ても、中国という国は必要以上に関係性を深入りさせない方がよいという見方が今の日本の経済界の主流になりつつあるものと考えられるものである。それをどこかで聞いてきたような言葉で「中国との関係は切れない」などとは思考停止の何物でもない。言葉、思考の劣化はどちらなのか。
「そもそも、隣国との関係を悪化させたのは誰なのか。一部の政治家たちでしょう。」
何だ、これはと言わざるを得ない。左翼思考の特徴であるが、何でもかんでも日本が悪いのである。そして日本が悪いと断ずる自分が偉いのである。結局最終的には自分が、自分の言葉(屁理屈)が何よりも大切なのである。そういうことの無数の集積で、日本国民は幸福へと近づけるのであろうか。心の底から、頭の細胞をフルに稼働させてよく考えていただきたいものだ。日本の政治家の発言や振る舞いと中国という国の国体や国策は何の関係性もないものである。中国は中国という国家の内部要因によって近隣諸国への領海、領空侵犯や挑発的な軍事行為を繰り返しているものである。現に日本の自衛隊戦闘機がスクランブル発進する回数も年々増加しているとの情報もある。日本沿岸の漁師は、中国船による不法な乱獲によって生活が成り立たなくなってきている。左翼の思想は全体も真相も見通してはいないし、その意思もない。政治家の言葉などという瑣末な事柄に責任を集約させて、事の本質を糊塗させようと為すことは、幼稚で稚拙な自己満足以外の何物でもない。
「新しい安保法制の狙いは米軍の世界戦略の一端を自衛隊が狙うこと。」
これもどこかで聞いてきたような(自分の頭で突き詰めて考えられたものでないという意味)言い回しだな。確かに集団的自衛権の行使が認められればそういうことに成り得る可能性はある。だから抑制的に行き過ぎないように運用されないということは言える。しかしそれが「狙い」であると何を根拠に言えるのだ。そこにあるものこそ自分の思い込みであり、情緒と気分ではないのか。そもそも米軍の世界戦略なるものを自分の言葉で説明できるのか。日米安保で日本が米国の軍事力に守られているという事実は一方に厳然としてあるのだから、その公益を無視して「米軍の世界戦略の一端」などと決め付けてはならない。むしろ米国の軍事的な覇権主義や戦争遂行能力は低下してきていると見なすのが冷静な判断である。借り物の言葉で社会が論じられ、世論が形成されることは危険でしかない。
自衛隊が海外で銃弾を1発撃った瞬間、戦後70年、積み上げてきたものが崩れる。そんなことは絶対に許してはならない。」
極めつけはこれだな。戦後70年積み上げてきたものとは一体、何なんだ。米軍の保護下にあるという状況、構図は何一つとして変わってはいないではないか。自衛隊が海外で銃弾を1発どころか何千、何万発撃とうが崩れるものは何もない。問われるべきはその必要性、正当性が真にあったのか、どうかということだ。1発の銃弾で戦後70年の蓄積が崩れるなどの言辞は、現実を無視した自分の世界観や理想に自己陶酔しているだけのことで、聞いていて恥ずかしい。それに日本の自衛隊は海外どころか国内において既に血も凍るほどの恐ろしい悪行をなしている。そういう事実を国民の目には伏せておいて、こういう左翼思想を作家に言わしめ、喧伝し続ける新聞社の啓蒙運動は、民主主義社会における究極の悪徳である。