龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

塵芥の存在理由

確かこの前の衆議院選挙では、大阪の小選挙区民主党が勝ったのは辻元清美氏だけであったと記憶しているが、辻元氏の地元である高槻市という所は一体、どういう土地柄なのであろうか。市民の見識、政治感覚を疑うものである。安保関連法案の採決を妨害するために、委員長を理事会室に閉じ込めて「女の壁」を作り、排除しようとする与党議員が身体に接触する度にセクハラだ、今誰それがセクハラをしました、などと大声で喚くなどという所業は程度が低いという以上に、恥ずかしいしあまりにも情けない。TVニュースや新聞、ネットの報道は有権者だけではなく、高校生や中学生などの青少年も見ているのである。そういう次世代を担う若者たちに対する政治家としての影響や感化ということを考えた時に、何かしら自戒する気持ちにはなれないものだろうか。これでは身の回りで紛争やどたばたの騒ぎが起こった時には、セクハラや痴漢、暴力の虚偽の被害を声高に訴えて、自分の立場が有利になるように振る舞いなさいと、未成年や年代の若い女性たちに宣伝しているのと同じである。それが法律を作る立場である国会議員が国民に見せる態度なのか。これは政治家の劣化などというような生易しいものではなくて、一人の人間として、女性としてあまりにも俗悪であり、品性、品格が下劣の極みである。政治はそういうものだと言ってしまえばそれまでだが、実際にこの程度の人間たちが作った女性を守るための女性の法律とやらが日本をおかしくしてきているのである。
我々国民が学ぶべきことは、どのような立派な思想や正義、批判が述べられようとも、その述べ立てられた内容ではなく、その主義を主張し、推し進めようとしている人間の側にその内容に見合った人格や人徳が備わっているのかどうかということである。立派なことを言う事自体は、多少の弁が立てば誰にでもできることである。しかし人間性の中身だけはそう簡単に、いや絶対に変わるものではない。品性、品格の劣った人間が主張する高邁な見せ掛けほど世の中にとって危険なことはないのである。そういう意味では辻元清美という政治家は、なぜ選ばれているのか私にはさっぱりわからないが、日本という国にとって、道徳的に極めて有害であり、もっと言えば日本の恥晒しである。もちろん辻元議員だけの問題ではないが、辻元議員以外の民主党女性議員、いや民主党そのものが、辻元清美的な下種の本性が核になっている集団、組織に思えてならない。これは国民がどうのこうのと言って、矯正されるようなレベルではない。何も私は自民党に肩入れしている訳でも、応援しているのでもない。これまでの私の記事を読まれている人にはわかっていただけるであろうが、自民党自民党で最低である。ある意味では人で無しであり、巨悪でもある。しかしそれでも一応は、認めたくはないがれっきとした政治であり、批判の対象となり得る存在である。それに比べて民主党などは、国民の声を代弁して自民党批判をしているつもりなのか知れないが、多くの国民から見れば目ざわりなだけで批判の対象にすら成り得ない塵芥だ。足下を這いまわるゴキブリのように、決して理解すべき相手なのではなく、問答無用に叩き潰すべき生き物なのであろう。