龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

徳なき政治の恐ろしさ

今日、JR高槻駅中央出口、北側の大型スーパーに直結する回廊の所で、見たくもない人物を目撃した。民主党辻元清美氏が演説していたのだ。私は特に、高槻駅で下車する予定もなかったのだが、アル・プラザ高槻というスーパーでちょっと買い物をして、昼の食事をして帰ろうと降りたのであった。生で辻元氏を拝見するのは初めてであった。ちらっと見た感じでは、特に禍々しい雰囲気も感じられなかったが、本人に声でも掛けられたら大変だと、目を合わせないように回り込んで通過しようとしたのだが、待ち受けていた付き人にチラシを手渡された。辻元氏は、まあ当然のことではあろうが、地元の高槻でも特に熱狂的に歓迎されている訳でもなさそうであった。立ち止まって話を聞いているような人は、私が見た限りでは一人もいなかった。生まれ育った地元でこれでは、寂しいものである。大きなお世話かも知れないが。しかし辻元氏なる人物もよくわからない所がある活動家だ。そもそも、どうして社民党を離党して、民主党に入ったりしたのであろうか。社民党は風前の灯とでも言おうか、今まさに沈没せんとするクルーズ船のようなものだから、普通の世間的な感覚で言えばその気持ちもわからなくはないが、辻元氏は元々、真っ向から国家権力に対抗するイデオロギーを有していたのではないのか。極言すれば国を否定するための政治活動だと言える。それが民主党政権の時に、社民党議員として連立政権に加わっていたことは当時の政局においてはそれなりの意義や理由付けもあったことであろうが、どうして普天間基地の移設問題で社民党が連立から離脱した直後に、社民党を離党して当時の政治権力の中枢であった民主党に乗り換えたり出来るものなのか。その神経が理解できない。社民党の連立離脱に一議員として反対するのと、基地問題で政策的に対立していた民主党にひょいと飛び移る行為の隔たりは、どんな詭弁でも正当化できないほどの距離感があるものである。まるで日本から、海を隔てた韓国か北朝鮮に、ひょいと飛び移るようなものであり、そういう意味では、政治を利用して国家の枠組みを壊しているという辻元氏なりの道理は成り立つのかも知れないが、結局のところこの手の人の主張は、何でも有りなのだと思う。何も考えていないとまでは言わないが、政治の目的や理想よりも、その時々の主張そのものが「公」を離れて「私」に大切なのである。菅直人氏などもそういう所があるが、(因みに辻元氏と菅氏が並んで立つと私には仲の良い夫婦のように見える)、そういう人々の集団が権力を掌握すると大変なことになる。大地も激しく揺れようかというものである。私は村山政権の時に阪神淡路大震災が起こって、菅政権で東日本大震災が発生したことは、常識的には偶然と言うことになろうが、形而上的な超感覚の視点で見れば、偶然とは言い難いところもあると思う。いや、誤解を恐れずにはっきり言えば、必然に通じる要素はある。本質的なところで自分のことしか考えられないような徳のない人間が国のトップに立つと(企業や家庭でも同様であろうが)、ろくなことが起こらないものである。それは現代の日本だけに当て嵌まることではなく、古今東西に共通した普遍的な真理だと私は思う。科学的に立証できないからと言って、歴史を通じて経験的に知り得た人類の教訓を否定し得るものではない。そういう意味では、何がどう間違っても、民主党のような連中を政権に返り咲きさせるようなことはあってはならないと言っておきたい。ついでに付け足せば、今日もらったチラシはまだ私の手元にあるが、それによると「つじとも国会見学ツアー」が予定されていて、プラン1の1泊2日コースで41,200円、プラン2の日帰りコースでも34,200円の料金とある。高いのか、妥当なのかよくわからないが、またどれだけの人が申し込むのか知らないが、こんなお上りさんのようなツアーに参加して、恥ずかしくないのであろうか。まあ、それも大きなお世話ではあるが・・・。