龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

同じ穴の狢

なるほど、早速日曜日の朝に、フジテレビは民主党仙谷由人氏を出演させて、自民党との大連立の意向を表明させた訳か。前回に私が述べた、週刊現代での自民党石破茂氏との対談は明らかに仙谷氏の思惑とすれば大連立を意識したものであった。ばれたのなら、自ら公表せよということであったのだろう。自民党の谷垣総裁は、民主党には消費税増税を提起する資格が無いと主張して、増税法案の審議を拒否する姿勢を見せている。自民党が消費税増税そのものに反対している訳ではなく、民主党に資格がないということは、消費税だけでなく民主党が政権を運営する資格、能力を問うてもいるわけだから、必ずしも各新聞社が声をそろえて唱える通り、2010年の参議院選挙で自民党が消費税10%を公約として民主党に勝利したことを理由に、民主党の主導下で自民党が消費税増税法案の話し合いに応ずるべきであると言えないことと思われる。ともかく、そのような膠着状態を前提として、仙谷氏は、それなら自民党が主導して消費税増税を可決すればどうだと持ちかけているのである。そのための大連立であって、恐らくは、野田首相の首を切り、谷垣氏を次期総理にしてもよいとすら考えているのであろう。それはしかし、単に解散総選挙となれば仙谷氏も落選する可能性が高いことから、民主党を売ってでも自分の国会議員としての延命を計る姑息な計略と見れるものであり、国民や国家に対する大義など欠片も感じ取れないものである。ここにおいて何よりも重要なことは、政策の一つに過ぎない消費税増税ではない。私個人は、前回にも述べた通り、日本の財政再建は手順を守るべきであり、これほど国内の消費が落ち込んでいる時に官僚的な視点だけで消費税を何パーセント上げれば何兆円の税収増が見込めるなどという定点観測的な手法は間違っていると考えるものである。経済や雇用、国民生活は全て生命のように有機的につながっているものであって机上の係数理論を当てはめた手術(政策)をなせば、瀕死の重病人(国)は、ついには息を引き取ることとなるであろう。財務官僚の権力が強まり、消費税を上げろと迫る欧米諸国に対して顔が立つだけのことである。それはそれとしても、とにかく消費税という一政策よりも、日本国家としての一大事は、民主主義の根幹を守れるかどうかである。民主主義の大原則が崩壊してしまえば、この先全ての問題が、より露骨に国民を誤魔化し、見せかけに過ぎない民主主義の体裁を装いながら、政治とマスコミ、大企業が結託して決定し続けることになるであろう。戦後の国内政治が、いやもっと言えば明治維新以来の一元的な統治手法が日本の現状に合わなくなっているにも関わらず、古い型の構造から抜け出せないからそのしわ寄せが全て、国民に押し付けられる状態になっているのである。その象徴が、絶えず持ち出される“大連立”である。大連立においては一つの意思しか存在しないから、政治家には責任がない。形式的には国民が民主的に決めた政治スタイルということにされてしまって、国民がたった一つの政治意思の結果に対して責任を引き受けさせられることとなるのだ。これでは戦前、戦中の国民統制と何ら変わらないではないか。どこが違うのか説明してもらいたいものだ。言論の自由があると言っても、マスコミは自分たちに都合のよい情報しか流さないから、自由があっても実質的には無いのと同じである。仙谷氏は言葉の上では、解散の検討をとも言っているようであるが、恐らくは選挙を避けようとする民主党議員の心理を意識してけん制しているだけのことである。また大連立は時代が要求しているなどと、また前菅首相と同じような、下らない詭弁を弄しているが、それは当人が望んでいるだけのことであろう。大義などどこにもない。これが日本の政治であり、またそのような低劣な政治と結びつく、同じ穴の狢と言えるマスコミの姿である。