龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

全体としてブラック化する日本企業

毎年、一部の企業がブラック企業としてノミネートされ公表されているが、ワタミで訴訟になった過労死のような極端なケースは特殊なのであろうが、この10年くらいの日本の企業は押し並べて全体的にブラック化しているということが言えるのではないか。私は自営業者でサラリーマンではないので、身を持って思い知らされるということはないが、周りの状況を見聞きしているとそういうことがよくわかるのである。正社員の数が限界まで減らされて、アルバイトやパートなどの非正規雇用社員がどの職場でも目立つようになってきている。よって一人あたりの正社員が受け持たなければならない仕事量が増えるのは当然ではあるが、アルバイトやパートの社員までが低い賃金で正社員並みの働きを要求されることが、どのような職種においても一般化してきているように見られる。全体の人件費を抑えて、一人あたりの社員の生産性を高める労務管理を徹底させなければ今や企業は利益を出すことが難しくなってきているのである。身近なところで言えば、私の元妻の離婚後におけるパートの職歴と仕事内容を聞いていても(離婚はしているが子供の養育を通じて親権者の私と監護権者の元妻には日常的に交流があり、そのような話しは頻繁に聞かされる。本当はあまり聞きたくもないのであるが、一方的に報告してくるのでやむを得ない)、そのような事情はよくわかるものである。たとえば元妻は子供服をメインに全国的に販売しているチェーン店の店舗に4年間パートとして働いていたが、ひっきりなしにブラックだと私にこぼしていたものである。正社員は一店舗に店長一人だけであり、その店長も毎日、店にいるわけではないとのことである。実質的には何人かのパート社員が出勤のシフトを組んで、レジや品出し、在庫管理などの店舗運営のほとんど全てを切り盛りしなければならないとのことであった。それも自給850円とか900円の賃金でである。また何年働き続けてもパート社員には昇給は一切ないらしい。一昔前の感覚ではアルバイトやパート社員は、正社員のサポートか責任のない単純作業に従事するというものであったが、今やどうも職場環境は一変しているようなのである。正社員とパートの仕事内容はほとんど変わらないし、パートの仕事への要求もかなり厳しいものであるらしい。残業しなければこなせないほどの仕事量を押し付けられているにも関わらず、残業をすると店長に呼び出されてこっぴどく叱られるらしい。それも残業代を節約するための上からの方針である。残業をさせられて残業代が出ないよりはましかも知れないが、残業がまったく認められないで正社員同様の仕事を要求されるというのも酷ではある。そういうことが今やどの職場でも当たり前の光景になってきているのである。結局、元妻はその仕事を4年間どうにかこうにか続けたが、重たい物を持って運ばなければならないとかで身体の調子が悪くなってきたとか、職場の人間関係も芳しくないとかの理由で耐えられなくなり辞めてしまった。それで今年に入ってからであろうか、働かない訳にはいかないので新しい職探しに奔走することとなったのだが、40代の後半にもなるとなかなか決まらない。履歴書を送って面接はすれども、ことごとく不採用となっていたようだが、苦労の末、ようやくにして採用してもらえることとなったのが病院事務の仕事で、総合病院のN病院であった。たまたま偶然のことではあるが、そこは元妻が15年前に息子を出産した病院である。とは言っても今は産婦人科はなくなっていて、それが原因で採用してもらえた訳ではない。またN病院との直接雇用ではなくて間に派遣会社が入っていてその派遣会社に採用され、勤務地がN病院となったのである。その話しを聞かされ当初は、何はともあれそれも何かの縁であろうし、とにかく職が決まったのだから良かったではないかと言っていた。ところがである。元妻はN病院で働き始めてからというもの、三日とあけずに私に愚痴と窮状を訴える電話を掛けてくるようになった。どうも仕事についていけないらしい。病院事務の経験がない元妻は仕事内容を甘く考えていたのか、覚えなければならないことがあまりにも多すぎて覚えきれずに毎日ミスを連発して叱られてばかりのことであった。またマニュアルがある訳でもなく、仕事中に口頭で教えられた無数のことをその場でメモに取って、家に帰ってから自分でノートに整理してまとめマニュアルを作っていかなければならないのだが、その作業だけで毎日夜寝るのが2時ごろになり、翌朝は寝不足で頭がぼーっとしてまたミスを繰り返すこととなっていたようである。それで僅か3カ月ほどで精神的に限界に来ていたようで辞めたいなどと私に何度も相談してくる。そういうことを私に言われても困るのであるが、どうしても無理なら辞めてもっと自分の能力に合った仕事を見つけろとアドバイスせざるを得ない。するとその度に、「どんな仕事がいい?」と聞いてくる。知らんがな、そんなことである。しかし自分で考えろよ、とも言いにくいので、その度に私は「宝くじ売り場のおばちゃんがええんとちゃうか。」と言ってやった。ずっと椅子に座りっぱなしで身体も楽やし、覚えることもないからアホでも出来る仕事や、それでいて会社が倒産したりして失業を心配することもない、お客さんに「当たりますように」と愛想を言っているだけでいいのやから、君にぴったりの仕事やないか。たまには馴染み客のおっさんと世間話をせなあかんこともあるけど、それだけ我慢してればええねん、と。すると元妻は「そんな仕事もなあ。そんなことばかりしてると自分は一体何してるのかな、と思うようになる。」とか言うのである。要するに贅沢なのだ。
結局、元妻はその会社に退職を申し入れたのだが、説得されてそれならもっと簡単な職場にとN病院からA病院に配置転換させられることとなったのである。A病院の名前を元妻から聞いた途端にふわりとした奇妙な感覚を覚えた。どこかで聞いたような記憶があるのである。その後、私の母に確認してわかったことは、A病院はやはり私が生まれた病院だったのだ。元妻は自分の子供を産んだ病院の後に、元夫である私が生まれた病院に配属されることとなったのだ。偶然ではあるが奇遇な巡り合わせである。しかしそこにおいてもやはり元妻は仕事に馴染めなかった。ミスを繰り返し、毎日のように厳しく叱責され嫌味を言われ続け、精神的に参ってしまったようである。そういうことを私に言っても仕方がないのに話しを聞いてほしいのか、しょっちゅうのように電話で報告してくる。それも一々こと細かに職場の人間関係がどうなっていて誰がどうしたとか、誰それからどのような嫌味を言われたとか長々と説明してくるので聞いている方も大変である。私とすれば仕事が能力や適性において向いていないのであれば、またそれほどに居心地が悪いのであれば辞めて別のところを探した方がいいのではないかというぐらいのことしか言うことができない。それで何とか次の仕事も決まったので、病院事務の仕事は止めることと相成ったのだが、この半年ほどの間、元妻は息子を生んだN病院と私が生まれたA病院でお世話になると同時に同僚先輩から散々にいびられたようであり、因果応報と言うべきか因縁とは恐ろしいものである。
ともかくもそのようにして元妻からいろいろな話しを仕入れるというか、聞かされていると他人事のようではあるが、今の時代の困難さがよく見えてくるものである。元妻の基本的な能力や仕事に対する意識の低さにも問題は当然あるにはあるが、日本全体の労働環境におけるブラック化の構図と言うものがそこには厳然としてある。毎日のように話しを聞かされているとそういうことがいやでもわかってくる。たとえば病院事務の外注化に関しても内情はどういうことかと推察するに、病院は忙しすぎて求人とか面接、採用などという手間のかかることを一々やっていられないのである。しかし常時、一定数の人手はいる。そこで派遣会社にそういうことを一括して委任する。社員の給与は派遣会社から支払われるが、その給与は病院が派遣会社に支払っている一人あたり派遣費用の恐らくは何割かであり、差額分は当然、派遣会社の利益相当分である。派遣社員の給与は時給900円ほどであるからその金額相応の勤労意識しか持ち得ないが、病院側は派遣会社に支払っている金額相当の労働力と質をスタッフに要求するのもこれまた当然のことである。そこには資本側と労働者に埋めることが出来ない構造的なかい離が横たわることとなる。特に病院事務の仕事は派遣といえども仕事の責任が重く、ミスが許されないことが多いから派遣社員の相対的な肉体的、精神的負担も大きくなることは必然である。また派遣社員間においても致命的とも言える問題があって、それは新しい社員が職場に入ってくると古株の社員が教育しなければならないが、時給は同じであってその負担分が給与に反映される訳ではない。よってただでも新入りの面倒を見ることは大変で割が合わないことであるのに、それが私の元妻のように物覚えが悪くてどんくさい人間であるなら周りの社員の足を引っ張るばかりであり、当たりが厳しくなるのも当然なのである。面倒を見なければならない人間の許容限度を越えれば、こんな新入りは早く辞めてくれてもっと仕事が出来る人間が補充されればよいと考えるであろうから自然といびるような態度になってくる。本来であれば新人研修のためのマニュアルであるとか研修システムがきちんと整備されて教育していかなければならないのであるが、派遣の労務環境にはそのような考えもゆとりも入り込む余地がないのである。そういう職場は離職率が高くて常に人材の募集を出しているものである。また派遣会社は病院側が要求する人材数を確保し、送り込むことが契約内容となっているのであろうから出来の悪い人間であっても引き留めて何とか辞めさせないようにするものであるが、そういうことは目先の対処で何ら根本的な解決にはなり得ないものである。所詮は派遣社員など消耗品のようなものであり、束の間の代替品であってとにかく陳列棚から欠品しないように並ばされているだけの性質と、現場ではリアルに苛酷に働かなければならないことの矛盾の板挟みとなって、その状況に適合できないものは淘汰されていくということなのであろうが、やはりこういうことは日本企業のブラック化現象の構造的な要因であると言えるのではないのか。世の中全体がそのような傾向が顕著になってきているように思える。近視眼的な利益確保の方法論しかそこにはないものである。それもこれも突き詰めれば政治が悪いのであろう。安倍総理は女性が輝く社会などと美しいことを言うが、派遣社員など輝く、輝かない以前の存在であって、今の日本にはそういう境遇の人間が多いと言うよりも、自民党がそのような人間を増やす政治を推し進めている結果なのだ。また正社員であっても必ずしも輝いているわけでもなく、日本全体のブラック化の中で酷使されているだけであることに何ら変わりはない。敢えて言えば公務員だけが無条件に輝き得る社会になりつつある。労働者の身分や賃金を犠牲にしなければ企業が利益を出せないような社会状況を政治が強化しているとも言える。日本は、或いは世界全体がそうなのかも知れないが、本当に一人の人間が人生を全うすることが困難な世の中に変貌してしまった。