龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

『アトピー闘病記』の再開 その3

賞味期限であるとか消費期限とか、日本は食品の安全衛生基準がきちんと定められていて消費者の観点から見て、食の安全が保たれているかのイメージがある。しかし近視眼的、短期的にはそうなのであるが、中、長期に及んで徐々に肉体に蓄積されて将来的に害となるような食品の成分や薬の副作用になると、途端にいい加減というか無責任になってしまうところがある。因果関係がはっきりしないし、何とでも言い逃れが出来るからであろうが、結局、最終的には、健康や安全性よりも経済を優先させてしまっているのである。優先と言う以上に、健康被害や安全性の欠如を犠牲にして経済が成り立っていると言っても過言ではないほどである。たとえば一つ例を挙げれば、マーガリンのトランス脂肪酸アメリカでは禁止されたが、日本では危険性が低いとして今、尚スーパーなどの売り場では、当たり前のように販売されている。毎日、マーガリンを食している人間が将来的に成人病になり、ある日、心筋梗塞で死亡したとしてもその主たる原因がマーガリンであったと証明することは不可能である。そういうことである。福島県における放射能汚染の被害についてもそうであるが、漫画の『美味しんぼ』が事実を描写すると、政治権力が風評被害がどうのこうのと激しく圧力を掛けてくる始末である。言論の自由があるとは言え、日本は本当のことを言ってはいけない国なのである。本当の事が言えない国なのだ。真実よりも表層的な秩序に重点が置かれているからだ。経済を優先させるのは資本主義だから仕方ないと言う見方もあるであろうが、究極的には資本主義とは、相互に損ない合う地点のバランスに緩やかに進んでいくシステムであるということが出来る。甘い物を過剰に体内に取り込んで病気になる、病気になるとその病気を治すという名目で副作用のある薬をまた過剰に体内に取り込ませて新たな健康被害を生じさせることとなる。資本主義の特徴とは、とにかく一人の人間に何でも過剰に消費させようとする体制である。食品でも薬でも何でも、消費させなければ金にはならないからだ。そして機械の減価償却のように人間の身体も過剰なる消費によって摩耗し、損なわれることによって全体的な均衡が維持されているのだ。よって人間もまた消費されるべき一個の商品なのである。人権が云々とは、単なるまやかしである。まやかしというか、別の次元の問題である。もっと言えば、戦争もまた高度な資本の蓄積が飽和点に達したことの内発的な要請によるところの破壊、蕩尽であると見ることも出来る訳であり、つまり資本主義下の原理においては、砂糖を過剰に摂取したり、薬を大量に消費して健康を損なう日常生活の延長線上に、戦争は必然的に出来すると言い得るのである。もちろん極論ではあるが。極論ではあるが、真理でもある。しかしそうは言っても、我々はこの社会システムの中でしか生きていけないのである。資本主義や政治の悪口を言ったからといって、目くらまし的な微調整はあったとしても、大局的には何がどうなるものでもない。私も含めて誰もが、何かを売ったり買ったりしながら日々の生活を送らなければならない。糖分がどうの食品添加物がこうのと言っても、仙人でもなければ何かを食べなければ生きていけないのだし、そんなに厳密に選んでばかりもいられない。病気になれば病院にも行かなければならないし、景気の動向も重要である。そういう全体性が我々の否定し得ない日常の現実なのである。よってそういう全体性の中にこの1個の身を置きながら、いかに資本主義の横暴に損なわれることなく、私のようにステロイドの副作用で苦しい思いをしたり、パニック症に陥ったりすることなく、少しでも自らの人生を快適にそして物心両面において豊かに全うするかということ、これが私が述べようとしていることのテーマなのである。そういうことは新聞にも書いていないし、テレビでも報道されない。なぜなら言うまでもないことだが、食品業界や外食産業、製薬会社、病院などの全てを敵に回すような真実をマスコミが追及できるわけがないからである。政治もまた同じである。政治とは「政治業界」であり、実質的には民間事業者とさほど差があるものではないからだ。よって最終的には自分の身を守るためには、いろいろなものを参考にしながらも自立的に自分で考えるしかないということなのである。はっきり言わせてもらえば、この世界は、とくに日本は、嘘で成り立っている。その嘘をどこまで見通せるかが勝負なのである。
ということで改めて私の病歴を最初から説明すると、いや、今、仕事中で忙しいから次回に続く。これでも私は結構、忙しいのである。ぼやいてばかりいるわけではない。