龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

学校と子供の心

同じ中学3年生の息子を持つ親の立場とすれば、このような子供の死なせ方は、到底、許せるものではない。激しい憤りを禁じ得ない。単なる書類の確認ミスで、万引きの非行事実を誤認したままに間違った進路指導を行い、本来なら何の問題もなかったはずの志望高校への推薦を見送らせ、結果、生徒を自殺に追いやるほどの苦しみと絶望を与えるような不手際は、絶対にあってはならないことであるし、その罪はあまりにも大きいと思われる。我々大人にとって見れば、たかだか高校受験のことぐらいでと、長い人生から考えれば何も自殺するほどのことではないではないかと思ってしまいがちであるが、15歳の少年の心からすれば、このような理不尽さは奈落の底に突き落とされたような気持になるのもやむを得ないところはあると思う。何よりも恐ろしいことは、このようなミスは絶対にあってはならないことではあるが、どこででも何度でも発生してもおかしくはないように危惧されることである。その原因は学校と言う組織は、特に公立の学校は、やはりどこかお役所的な体質を引きずっていて、万引きと言う一人の人間の一生を左右しかねない重大な情報も学校が管理すべき膨大な情報全体の中の一欠けらに過ぎないもののように見做されてしまって、右から左へと流されるように処理してしまう傾向を有しているところにあるのではなかろうか。そこには教育者としての心が欠如しているし、危機感も希薄なのだと思われる。但し全ての公立学校にそのような傾向性があるのかと言えば、そういうこともないと思う。個人的なことを言えば、私の息子が小学生の時期は、私と元妻が別居、離婚問題で激しく争っている最中であり、息子は私の実家と元妻が住むマンションを絶えず行き来していて、それらの精神的なストレスが要因として大きかったのだと思われるが、数年間もチックを発症していたのだが、地元の公立中学に進学して懇談会に出席してわかったことだが、私も元妻も何の報告もしていないのに担任の先生は、息子のチックのことを既に知っていたのであった。小学校から中学校に何らかの形で連絡が行っていたのだ。私とすればそこまでの必要性もないのにと思ったのだが、それでもそういうことをきちんと情報として、小学校が中学校に伝え、中学校の担任教師がわかってくれていたことは、非常に心強いものであったし、有り難くも感じたのであった。なぜならそこには生徒を預かる学校や教師の心が感じられたからである。息子のチック症は、中学でソフトテニス部に入って厳しい練習をしている内に、いつの間にか消失してしまったものだが、まあ年齢的な成長とともに自然と治っていったところもあるのだろうが、私は息子はその中学校で精神的に良い影響を受けたことの結果であると感謝しているものである。よって公立学校であるからというだけで、一概に、官僚的であるとか役所的な事なかれ主義だなどとは言えないことであるが、私の偏見なのだろうか、どうも広島と言う土地柄は、韓国への修学旅行中に生徒に土下座をさせた世羅高校といい、昔から何かしらの教育上の問題があるように感じられるのであるが、どうなのだろうか。大人の世界の矛盾や歪みは子供たちの無垢で柔らかな心が、濾過し処理しようとして、潰されていくものであることを我々は決して忘れてはならない。