龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

子供の命を守る社会

誤って川に転落死か。可哀そうに。道に迷って、焦って帰り道を探している内にどんどんと山林の奥深くに入り込んでしまって、崖から足を踏み外して転落するような事故は大人でもあり得ることである。こういうことを言ってしまえば身も蓋もないが、小さな子供が一旦行方不明になってしまえば、無事に助かるかどうかは、その子の生命力であるとか運などで明暗がはっきりと分かれるようにも思える。周囲の人間がいくら祈ろうと、神頼みをしようが結果は同じであるのかも知れない。思い返せば、私の息子が小学校1、2年生ぐらいの時は、私と元妻が別居状態で双方が弁護士を立てて離婚や親権などを争っていた状態であったので、常に私の頭の中は子供の身の安全についての心配、不安感に支配されていた。子供との面会が家庭裁判所の取り決めで決められていた自由に会えない状態で、週末だけ子供を引き取って私が住んでいる実家で一緒に食事をし寝泊りしていたが、いつ子供と会えない状態に陥るかも知れないという不安に苛まれる日々であった。息子が小学校2年生に上がったばかりの春には、元妻が住むマンションと私が住む実家との間を行き来する生活環境のストレスが原因なのか、チックを発症し、口が勝手にもごもごと動いて舌を噛んでしまい、傷ついた舌が沁みてご飯が食べられない状態になった。息子が小学校2年生の時の5月には傷ついた舌から細菌が感染したのかヘルペスを発症し2週間ほど入院もした。そういう状況で私は元妻と連絡を取り、元妻と交代で息子の付き添いに行っていたものである。退院後も息子のチックは継続し、私はいろいろと調べて、区役所が無料で行っているプレイセラピーと言って、子供に室内で遊ばせながらストレスを解放させる療法に元妻に連れて行かせたり(平日しかやっていなかったので私が連れて行くことは出来なかったのである)、私が仕事が休みの日曜日には、小児鍼といって子供向けの剣山のようなもので軽く刺激を与える治療に連れて行ったり、それとは別にオステオパシーという民間療法があるのだが、それは頭蓋骨の継ぎ目を軽くマッサージするような手技で調節することによって自然治癒力を高めるということなのだが、そういう療養所にも毎週のように車で連れて行ったものであった。近くの神社にも息子の病気が治るように頻繁に拝みに行きもした。結局、息子のチックは小学校の間中、間断的に続いていたが、中学校に入ったころには自然と消滅した。当然、遊びにも連れて行った。釣り堀に行ったり、ラウンド1でボーリングやゲームにもよく行った。息子が幼稚園や小学校低学年の時には、いつも手をつないで歩いていたような記憶がある。手をつないでいないと、小さな子供はボールのように跳ねてどこに走っていくかわからないからである。ちょっと目を離した隙に神隠しのように消えてしまいそうで怖かった。当時の私はビールの飲み過ぎで慢性の下痢症であって(今は2年前から酒をまったく止めてしまったのですっかり治っているが)、息子を連れて外出していてもすぐにトイレに行きたくなるのである。さすがにデパートや駅のトイレの個室にまで息子を連れて入ることは出来ないので、外で待たせることになるが、私が用を足している僅かな時間の間に息子が誰かに連れ去られるのではないかといつも気が気でなかったことを覚えている。息子と会えない平日の日には、マンションで一人で病気になって苦しんでいるのではないかとか、またご飯を食べれていないのではないかと心配で元妻にもよく電話を掛けていたが、当時はその都度素っ気ない対応をされたものである。日々の息子への心配とは別に、頻繁に弁護士事務所や裁判所にも出向き、弁護士と喧嘩をして腹を立てた私は弁護士会懲戒請求を立てたり、新しい弁護士探しに奔走したりと本当に悪夢のような毎日であったが、それでも今、思い返せば子供が可愛い時期に制限されながらも毎週末一緒に時間を過ごせたことは幸福であったのであろう。今となっては、息子が小学校4年生の時にようやく離婚が成立して、変則的ではあるが私が親権者になり元妻と息子が私が所有するマンションに住み続けることになったので、息子とは何の気兼ねもなくいつでも会える。妻とも普通に連絡を取り合っているというか、それ以上に元妻は自分の仕事のことで何やかんやと私に愚痴を言ってきたり、相談してくるのでどういう生活をしているのかよくわかるので特に何の問題もない。ただ息子が高校1年生となった現在では、昔では想像もできなかったことだが、元妻とよりも息子とコミュニケーションを取ることが難しくなってきている。元妻はこちらが聞きたくもないことまで一々報告してきて閉口させられることが多いが、息子は私が学校のことやクラブ活動のことを知りたいのでいろいろと聞くのであるが、言いたくないのか、単に話すのが面倒なだけなのか、最低限の言葉という以前の「うん」とか「あー」などの動物の呻き声のような音声が返ってくるだけで、それ以上の会話にならないのである。よって当然、何を考えているのかよくわからない。まあ世間一般の家庭環境とは違うので止むを得ない部分もあるのであろうが、小学校低学年の時のいつも手をつないで歩いていた、そして私の肩に乗ってきたり、体にまつわりついて離れようとしなかった息子とは、別の生き物のようにも見える。
ともかくも私はそういう個人的な経験をしてきているので、子供が山中で行方不明になったりであるとか、マンションのベランダから転落死したであるとか、虐待死したなどという事故や事件の報道を見聞きすると本当に嫌な気分になり、何か言わないではおれないような強迫観念に突き動かされる。知らぬ間にそういう精神構造になってしまっているのだ。因みに私が最終的に親権を取ることができたことも、偉そうなことは言いたくはないが、自分自身の境遇だけでなく日本全体の子供の福祉であるとか幸福について考える心を持ち得ていたからであろうと思われる。私が親権を取れていなければ、間違いなく元妻と息子は今よりも遥かに劣悪な生活環境を余儀なくされていたことであろう。離婚はともかく、離婚していない家庭であるなら尚更、小さな子供から目を離さないで欲しいものだ。躾けか何か知らないが、山中で子供を置き去りにして車でそのまま走り去るなどという行動は、私の感覚からは到底理解できないものだ。見通しが利かない山林で小さな子供を一人で遊ばせたり、遠くまで歩かせるということも私の理解を越えている。都会と田舎では親の感覚も異なるのかも知れないが。マンションの高層階に住んでいれば、子供が転落死する可能性は常にあると言う想像力も持っていただきたい。虐待など論外である。子供たちの命を大切にする社会であって欲しいと心から願う。全ては政治が悪いのだと思う。何もかも自民党の悪業政治が、人心と国情を緩やかに荒廃させてきた結果だ。