龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

霊界への実験

長野県の山林で小学校1年生の女の子が行方不明になったまま、まだ見つからないようである。こういう神隠しのような出来事は、いつの時代にもどの国においてもあるのであろうが、本当に嫌なものである。子供の安否が心配であるということは当然であるが、それ以上に、いやそれと同等程度にと言うべきか、共同体(日本)全体にとって何かしら不吉な感じを受けるからである。今年の6月に北海道で小学校2年生の男の子が両親に躾けのために置き去りにされて行方不明になった時に私は、6月2日に「霊能力とコマーシャリズム」のタイトルで、霊能力者と称するタレントが散々TVに出演して、前世がどうのこうのと数百年前のことを目の前の光景を見ているようにありありと述べることが本当にできるのであれば、今、この瞬間に行方不明になっている子供の居場所をその子供の親の守護霊に聞くなりして発見し得るはずであって、何でチャレンジしないのか、チャレンジする意義があるのではないかという内容の記事を掲載した。そうしたところ掲載はさせなかったが、その霊能力者ご当人ではないかと思われる方から、「何を言っているんだ。」との怒りのコメントが寄せられたのであった。想像するに霊能力者を自認するような人は、とくにその特性でTV等に出まくって知名度のある人は、そういうことを言われたり要請されることが、恐らくはかなり嫌なのであろう。但しその時は、たまたま偶然なのであろうが、私がそのブログ記事を掲載させた翌日の6月3日に無事、保護されたのであった。その時にふと私が感じたことは、仮にもし霊界というものが存在するのであれば、私が記事で指摘したようなことは何というべきかうまく言い表すことが難しいが、霊界の秩序にとって都合の悪い干渉行為であって、そういう干渉の影響を打ち消すための「調整」として、男児の発見に結びついたのではないかということであった。もしそうであれば日本の霊界は、日本の政界同様に適当でいい加減な場であるとしか言えないが、意外とその程度のものであるのかも知れないとも思う。よって私は必ずしも霊能力者の霊能力というものを全面的に否定している訳ではなくて、もっと総合的に霊界とかそういう世界の存在と実在の物質世界との関係性であるとかをも含めて思考しつつ疑問視しているというのか、完全に否定はしないけれど素直に受け入れるつもりも毛頭ないということである。自分で言うのも何だが、ある意味においては私は霊能力者などよりも危険性を内在させた人間なのかも知れない。政治でも何でもそうだが、どんなことでもすぐに信じたり受け入れるような人間(要するに大衆)は、集団化すれば話しは別であるが、個別に見れば何の危険性もないものである。ともかくも今回の記述で何が言いたいのかと言えば、もしかすれば今回の記事内容が6月の男児の時と同じように、霊界に何らかの波紋をもたらすものであれば、その波紋を打ち消す調整効果によってまた現在行方不明の女児が見つかるのではないかと、個人的な「実験」を試しているのだ。観念的ではあるが、霊能力者が行おうとしないことを、いや行おうとしないから普通の人間である私がためしにやっているのだ。馬鹿げたことだと笑いたい人は、笑っていただいて結構だ。しかし私に言わせれば、この生きた世界で発生している現実に、馬鹿げていないものなど何か一つでもあるのであろうか。