龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

宇宙人としての純粋なる抵抗

没落した朝日新聞の左翼言論主導者としての後釜を虎視眈々と狙っているのであろうか、毎日新聞が抜け目なく色気を見せてきているように感じられる。新聞社の勢力争いなど群雄割拠と言い得るほどご立派なものでもなく、所詮、的屋が祭りの行われる神社の境内で、いたいけな子供たちから小遣いを巻き上げるための場所取りに精を出しているようなものである。日本の言論などその程度のものなのである。正義も大義もあり得ない。一見、それらしく見えればそれでよいのだ。見本に展示されている豪華な景品に騙されて、当たりのないくじを無邪気に買い続ける子供たちの姿こそが、日本の民主主義的、実相なのだ。本質的には詐欺であるとも言い得る。どのような詭弁も欺瞞も許されるし、許されると言う以上に、詭弁や欺瞞こそが日本の言論の中核となっている。心などどこを探しても見当たらない。これを堕落と言わずして、何と表現すればよいであろうか。
しかしまあ、そうは言っても新聞社も経営第一であることは当然であるし、単に私の食わず嫌いで、毎日新聞も実際に読んでみれば、それほど悪くもないのかも知れない。(このようなことを書くと、すぐに新聞店の販売員が飛んできそうなので言っておくが、これ以上、新聞を増やすつもりはない。来られても無駄だし、迷惑です。)ただ昔からよく言われるところでは、毎日新聞は広告ばかりで、読むところがほとんどないということで、今はどうか知らないが、私にはそのイメージが強い。それで今、思い出したのであるが、去年の朝日新聞の契約更改時に妙なことがあった。妙と言っても、私の考え過ぎの可能性もあるが、こういうことであった。通常、新聞の契約更改に際しては、販売店の店長がやってきて平身低頭しながら契約の延長を依頼するものである。そうでしょう。それ以外の例外は考え難いのであるが。ところが去年の4月ごろに私の所にやってきた朝日の勧誘員は、それが店長だったのかどうかは記憶がはっきりしないが、こう言ったのである。
「契約更新の時期が来ていますが、更新は無しということでいいですね。」
えっ、何でそんなことを言うのか、と一瞬、不思議に思ったのだが、恐らくは私の痛烈なマスコミ批判が、私の身元情報とともに新聞社を通じて販売店にまで伝わっていて、私のような人間にこれ以上、定期購読されてはかなわん、と判断されたゆえにそういうセリフが出てきたのではないかと推察されたのである。それで思わずムッとした私は、そっちがそういう態度ならもっと正当な嫌がらせを継続してやろうと心を決め、「いや、契約の延長はしますよ。」と平然と言ってやったのであった。或いは、昨年の朝日新聞は誤った慰安婦報道で世間から激しく嫌悪されていて、それが理由でどこの家でも契約延長を断られていたために、そのような卑屈な対応に自然となってしまっていたのかも知れない。その辺りのところはよくはわからない。私の信条として作り話はしたくないので、わからないことはわからないと言っておく。読売新聞の姿勢は朝日とは異なる。卑屈ではないが、サービスが悪いと言うか、ちょっと偉そうに感じられるところはある。そういえば、それらに関連して言えば、詳しくは書けないが、政教新聞も入れてこなくなった。恐らく、私の目に触れさせたくはないのであろう。これまた、よくはわからないことであるが。(こういう風に書けば、またさり気なく入れてくることになるのであろうか。どうでもよいが、世事の運びは、川の流れの如く単純である。)
毎日新聞の話しに戻るが、毎日新聞はともかく系列のTBSの報道番組は、昔から感じていたことであるが、何であんなに雰囲気が暗いのであろうか。堅苦しいというのとも、ちょっと違うのである。抜ける所がなくて澱みが感じられるというか、邪気が漂っているようである。ぼろくそに言ってしまっているが、まるで葬式の会場から中継されているようであり、スタジオのどこかに死体が転がっているのではないかとも思ってしまう。そういうことはいくら装っても、企業体質の本質として画面を通じて伝わってしまうのではなかろうか。筑紫哲也さんが司会をやっていた頃は、筑紫さんのオーラだったのであろうか、まだぱっとした明るさのようなものが感じられて見ていても安心感があった。今はちょっと見るも無残という感がある。私の勝手な想像と独断であるが、TBSは、企業体質として他局に比べて、風通しが悪く閉鎖的なところがあるのではなかろうか。洗脳がきつそうだな、という印象もある。まあ、実際のところはわからないが、皆さんはどのようにお感じになられるであろうか。私は決して自分の感覚や感受性に自信を持っている訳ではなく、見当違いの部分も多いと思うのだが、それでも自分にはどこか霊感に通ずるような何かがあるのではないかと考えることもある。幽霊が見えるとか、将来を予知するなどの霊能力など皆無なのだが、それでも無意識に霊的な領域にはいってしまっているのかも知れない。もっと言ってしまえば(こういうことを言うと馬鹿にされるだけなので本当は言いたくはないのであるが)、私は地球人ではないような気もする。ウルトラマンのように別の惑星からやってきているのである。だから世間一般の大衆的な感性、感覚とそぐわないところが本質的にあって、思い返せば10代の時からそうであったが、私と言う人間の根底にある疎外感とか孤立意識の原因となっていたのではなかろうかと。と言っても、UFOに乗せられてこの星に連れてこられた記憶はないのであるが。ともかくもこの世に52年も生きていて、この世のことは何一つとしてわからない。全て誤魔化されているような気がする。特に人の心というものがよくわからない。それもこれも私が、宇宙人だからなのであろうか。
アナタタチハ、イッタイ、ナニヲカンガエテイルノデスカ。
ワタシニハ、ジツノトコロ、ヨク、ワカラナイノデス。
ともかくもこの星に生きている限りは、私の純粋で正当な嫌がらせは続くのだ。どこまでも、線路のように。