龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

『フラガール』を見て、我思う。

どうでもいい話だけど、先日、ヤフーの無料動画で『フラガール』を何気なく見始めて、面白くなければ途中で見るのを止めようと思っていたのだが、結局最後まで見通してしまった。劇場と違って、自宅でDVDや動画を見る場合には、その作品に一定以上のクォリティーがなければ2時間ほどの時間をじっと最後まで費やすことは難しいものである。途中で本を読みたくなったり、ニュースを見たくなったり、眠くなったりするからだ。そういう訳で、『フラガール』は自宅で2時間、私にパソコン前に静止させるだけの力がある良い映画であった。何よりも松雪泰子が良かった。こんなにいい女優だとは、今まで知らなかった。私は映画が好きで、特に役者の演技力に関心があるが、私の映画論(大層なものではないが)で言えば女優の演技力や存在感は、頭の良し悪しがはっきり現れるものだと常々考えている。なぜ男優でなくて女優なのかと言えば、もちろん男優も頭が悪ければよい演技が出来ないことは同じであるが、女優はスクリーンにぱっと登場した時に観客は先ず美貌やセクシーさなどの外見に目が行くものであるが(私だけかも知れないが)、そういう見た目の要素だけで映画の質を最後まで持たせられるかというと決してそんなことはない。観客も馬鹿ではないので映画が進行するにつれて、役者の中身の無さや薄さが透けるようにわかってくると興醒めしてしまうものである。だからどれほど美貌で色気があっても頭の悪い女優が主役や準主役を演じていれば、低俗映画であればともかくもそれなりのきちんとした作品であれば、作品そのものがどうしても安っぽいものになってしまう。そういう意味では『フラガール』の松雪泰子は、見る者を一気にではないが徐々に魅了していく内面の底力と知性を感じさせる女優であって、思わず感心してしまった。もう一人の主演女優である蒼井優は、この映画を見るまではほとんど知らなかったのであるが、こう言っては何だが特別に美人である訳でもないし、ぼんやりとしているようにも見えて、これと言って特徴のない女の子みたいに感じていたが、印象が変わってしまった。松雪泰子のような鋭さはないが、天性の豊かさというのか柔らかな強さが感じられて、ああこの子も女優なんだなと思ってしまった次第である。特に終盤の見せ場には感動させられた。パソコンで見ていても感動するのだから、映画館で見ていればもっと感動していたのであろう。『フラガール』の監督は、李相日(リサンイル)である。この人の映画は劇場で吉田修一原作の『悪人』を見たが、今回見た『フラガール』と合わせて感じられることは、映画というものに対して高尚な思想とか哲学を追及しているようにも見えないし、かと言って娯楽性であるとか大衆の皮膚感覚に寄り添っているようにも感じられないので、監督自身のメッセージであるとかメンタリティーが伝わってくるようなタイプの映画ではないのだが、映画作りに向かう姿勢であるのか、その妥協の無さ、厳しさが映像や役者の演技に張りつめているかのような緊迫感があるので見ていてだれないのである。眠くならないのだ。映画と言うのは、そういうことが大切なんだなということを見る者にわからせてくれるような無言の説得力が感じられる。名前からもわかる通り在日の人であるが、恐らくは日本の若手映画監督の中では最も優秀なのではなかろうかと思われる。『フラガール』は役者の選び方にもセンスが感じられた。ファミリーのように気心の知れた仲の良い役者ばかりを使おうとしない姿勢もよい。そうなってくると次第に映画の画面から新鮮さや真剣勝負の緊迫感が薄らいでいくので、見ていても眠たくなってくるのである。