龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

霊能力とコマーシャリズム

ついに自衛隊まで出動して、まだ見つからないのか。北海道の山林で行方不明になっている小学校2年生の男の子のことが気がかりでならない。多くの人が祈っている通り、一刻も早く、生きている間に見つけ出してあげて欲しいものだ。我が子を山に置き去りにする親に対して批判が集中するのも当然のことである。人命が掛かっていることなので金の問題ではないが、この大規模な捜索にいくらの税金が投入されているのかを考えれば、躾の在り方がどうのこうのと議論すべき対象ではなくて、親のちょっとした不注意が社会に対して、多大なる損害と憂慮を与えることに繋がる想像力を、子を育てる親の良識として持てているのかどうかということだ。そういう良識のある親なら、どんな経緯であれ子供を車で山中に放置して、一時的にでも走り去るような真似は絶対にしないものである。そういう行為には、意図的な犯罪性が隠されているのではないかという疑惑の目で見られたとしても親の自業自得であって、このケースで躾を云々と論じているコメンテーターは明らかに程度が低いと思われる。
ただ親の批判をしてどうなることでもないので、そういう類のことはこれ以上言わないが、敢えて話しのピントがずれていて、不適切だと謗られる可能性のあることを論及させていただくことにする。その理由は、私はこのような騒動が起こる度にいつも人知れず思うことであるからだが、今こそはっきりと言わせていただくが、これまで頻繁にTVに出演してきて、有名人になり、大衆にもてはやされ、多額の金も稼いできたに違いない霊能力者はどうしてこういう時に颯爽と進み出てきて、自分の能力を人命救助に役立たせようとしないのか。誰とは言わないが、誰と言わずともわかるであろう。初めて会った人の守護霊と会話するだけで、その人が何百年も前の前世でどのような生活をしていて、どのような人物であったのかが詳細にわかるのでしょう。TV番組で多くのタレントを相手にそのような話しで感動させたり、涙ぐませたりしていたではないか。数百年前のことをすらすらと目前の光景を見ているように話すことが本当に出来るのであれば、今、この瞬間に行方不明になっている少年の居場所がわからないはずがないではないか。番組でやっていたのと同じように、少年の親と対面して親の守護霊に少年の正確な居場所を地図に指し示してもらえばよいではないか。しかし得てしてこういう時に霊能力者は押し黙ってしまうものである。たまにTVの特番などで警察に協力して実績を上げている海外の霊能力者による霊能調査が放映されるが、どれもピンポイントで場所を示したりはしない。わかったような、わからないような靄のかかった曖昧な指摘で視聴者の興味をつなぎ止めているだけの内容であることがほとんどである。要するにやらせなのである。日本の有名霊能力者も、江原さんでなくても、こういう絶対にごまかしのできない場面で呼び出されれば、もごもごと政治家のような玉虫色の発言しかできないであろうと私は断言する。なぜなら裏で発言のシナリオを書いてくれる人がいないからだ。或いは霊界の掟で、その人の運命に介入するようなことは言えないことになっているのです、などと尤もらしい言い訳をする可能性も高い。そういうものなのである。ただ私は霊能力そのものは決して否定はしない。江原さんの能力も私は恐らくは本物だと考えている。矛盾していて混乱をもたらすようであるが、本物であって尚且つインチキなのだ。本物であっても行方不明の人間の居場所を、守護霊を通じて聞き出すようなことは不可能なのである。それでは番組でやっていた芸当は何なのかといえば、まあ言ってみれば、罪のないフィクションである。誰を傷付ける訳でもないし、多くの人に生きる事の肯定的な解釈と希望をあたえるのであれば許されると番組制作者が勝手に考えているところの広義の嘘なのである。つまり私が否定しているものは霊能力ではなくて、霊能力のコマーシャリズムである。多くの人はその区別がつかない。あの手の番組を見てたくさんの人が江原さんのファンになったり、信者になったりしたのであろう。ぼんやりと生きている分には、それはそれでいいのかも知れないが、だから私は大衆は馬鹿だと言うのである。一切のコマーシャリズムを排除して、霊能力の本質とは何か、などと考えられるような人ならあのような番組に感化されることはあり得ないのである。だからと言って100%フィクションだと否定する態度も取らないであろう。なぜ私がこういうことを強調するかと言えば、そういうことが理解できなければ政治の虚構性も絶対に見抜けないからである。政治も突き詰めれば、霊感商法と同じであるからだ。そしてそういうことが分からない人間の集団意識が、社会のリアリティーを作り上げているのである。それが洗脳というものなのだ。
まあ霊能者には霊能者の言い分はあるであろうが、私の言い分に反論があるなら先ず行方不明の男の子を見つけ出すチャレンジをしていただきたい。失敗したとしても良識のある人間なら決して嘲笑ったりはしないであろう。むしろコマーシャリズムとは無縁の純粋なる勇気に敬意を表することであろう。そしてもし本当に発見することができれば、少なくとも私は個人的に一生、崇拝し続けるであろう。お布施はしないけれど。