龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

捜索活動への感謝と批判

ああ、無事に救出されて本当に良かった。他人の子供ではあるが、子供の命は日本の心である。全体の心(生命)は大切に守っていかなければならない。捜索活動に関わった多くの警察、自衛隊員は本当に良くやってくれたと思う。国民の一人としてその苦労を労うと共に、敬意を表したい。しかし思うところはある。私のように家にいながら何の手助けもせずに、楽をして報道を見ているだけの人間が、偉そうにその仕事ぶりについて批評などすれば罰が当たるかも知れない。だが罰が当たってもよいので一言、言わせていただくことにする。
昨日だったか規模を縮小して今後は小屋を中心に捜索活動を展開すると言う内容の記事を見た時に、私はえっと驚くと同時に、嘘ではないが直感的にこれでもしかすれば見つかるかも知れないと希望を持ったのである。そして、すぐに見つかった。なぜ驚いたのかと言えば、小屋の捜索など当然、先に済ませていると思ったからである。常識的に考えても順序が逆であろう。生きている人間を探すのであれば、当然、雨宿りをしたり、身体を休めたり、夜に眠るために必要などこかの小屋にいるのではないかと先ず考えるべきではないのか。映像を見ていてもわかることであるが、横並びのローラー作戦などの光景は、生きている人間ではなくて遺体を見つけるやり方である。生きている人間を、草むらに隠れた遺体を見つけるような方法で、捜索活動をしていたのでは、長引くのは当然である。言いたくはないが、ここには明らかに役所的な非効率で、無駄遣いの思考様式による捜索指揮が見て取れるものである。きちんとした民間的思考の探し方をしていれば、今回の捜索人員の10分の1の規模であっても2~3日もあれば発見できていたのではなかろうか。自衛隊はともかくも警察組織に私はもっと民営的な要素を注入していく必要性があるように今回の件で感じたものである。ただ冒頭にも述べた通り、今回は少年が無事に救出されて喜ばしいことであるので、憎まれ口はこの辺にしておく。