龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ドル円の行方

ついにドル円が105円台に突入して、豪ドルも引きずられて下がり、ドルと豪ドルの買いポジションを持っている私がどうするかと言えば、別にどうというわけでもないが、とにかく損切りをしない投資スタイルを貫徹中である。それでは塩漬けかというとそうでもなくて、平均単価を引き下げるために尚、大幅な円高の区切りごとに買い増しをしている。ロスカットされないために証拠金をどんどんと積み増していかなければならないのは腹立たしいが、まあ止むを得ない。自慢じゃないが損切りなどしたところで、その損を取り返す自信はまったくない。含み損が風船のように膨らんでいく恐怖に耐えながら、長期的に勝負せざるを得ないことを自覚しているからだ。一体、いつまで円高が続くのであろうか。とにかく私は今後、104円、103円と1円区切りの円高ごとに買い増していくつもりである。90円台まで行く可能性も当然あるであろうし、その覚悟もしている。ただ正直に言って、考えが甘いのかも知れないが、それほど悲観的に考えている訳ではない。現時点での円高要因であるイギリスのEU離脱問題にしても、6月23日の投票結果がどうなるかはわからないが、常識的に考えれば否決されれば円高解消に向かうであろうし、可決されたとしてもその時点では既に折り込まれてしまっているので、さらに円高への勢いを増していくとは考え難いからである。離脱が可決されても、イギリスの通貨は元からポンドなのであるし、騒動や混乱状態が長期化することは、あり得ないであろう。いつまでもドルやユーロやポンドが円に避難し続ける理由はないはずである。それでは何で今、円高なのかと言えば、為替というものは私のような素人が偉そうに断言できることではないが、論理的な分析や統計の手法によって機械的に数値化されている訳ではなくて、大半は(100%に近いと言ってもよいかも知れないが)、群集心理によって決せられているものである。群集心理の中でももっとも強力な要素は不安感である。今、ドルやユーロを持っていると、イギリスのEU離脱によって大損するかも知れないという不安感がきわめて強いから、一時的に円に逃避しているのであって、言うまでもなく円は基軸通貨ではないから貿易決済も買い物もできないし、欧米の投資家がいつまでも円を手放さずに持ち続ける誘因は何もないものである。ここにおいて円という通貨の宿命というか、不変の為替リスク要因を見極めることができるものである。それは通貨発行量で見れば、円はドルやユーロと比べればはるかに小さなものであるにも関わらず、本来であれば発行量の多い通貨ほど価格の変動幅は小さくなるものであるはずなのに、ドルやユーロは政治的にきわめて不安定な要因を反映している通貨であって、その大量の通貨が今回のように何らかのイベントが予定される度に円に避難してくるので、円は常に過激な円高に振れる危険性と隣り合わせになっているものである。ただし円は基軸通貨ではないゆえに、いずれはドルやユーロは必然的に買い戻され、再び市場に拡散していくものであるが、現在の相場と言うものは、どこまでも相対的に決せられる価値であって、何らかの実体的な裏付けによって1ドルいくらと決められている訳ではないから、適正な基準と言う尺度が存在しないのである。よって1ドル110円から投資家の避難衝動で100円まで円高になって、その後の市場に安心感が出てきたからと言って、必ず110円に戻る保証はない。保証はないという以上に、一旦安定した時点が基準値となってしまうので、為替には高過ぎることも、安過ぎることもなくて常に適正価格であると見れる。よってここまで戻るであろうという読みは常に外れるのである。それが為替取引の本質であると考えられる。ただし長期的な視点で見ると、そのポイントに復帰する可能性が高いであろうことももう一つの真理であると考えられる。ようするにその二つの条件において、どのようにバランス感覚を保ち、資金管理をしていくことができるかということが重要であるというか、少なくとも私にとっては課題なのだ。私の手法が最終的に成功するかどうかはテクニカルであるとかファンダメンタルズの分析の優劣によるものではなく、ほとんどは意志力と心理面の安定性だけなのではないかと現在の私は考えている。なぜなら為替と言う生き物は、群集心理によって成り立っているゆえに、その集団心理に心理的に優越できるか、飲み込まれてしまうかの二つに一つしかないと考えられるからだ。下手な分析などしない方がよい。なぜなら投資家は皆、同じような手法で分析をしているのであるし、分析をしてわかったつもりになった時点で群集に飲み込まれてしまっているからだ。