龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

アダルトビデオと女性の社会学

アダルトビデオの市場規模というものがどれほどあるのか知らないが、これだけ身の回りに氾濫しているのだから、不況の影響で一時に比べれば衰退はしているにしても、相当な売り上げがあるのであろう。資本主義の要請により、需要があって供給があるのであるから、存在そのものを悪と決めつけたり、一方的に問題視することは間違っているのであろう。男ほどではないにせよ、女だってそういうものを見る時は見るものである。別に顔をしかめたり、不快感を示しながらいやいや見るという訳でもない。大体、そういう性質のものがまったくない国は、北朝鮮のような社会主義体制となってしまって、性の堕落はなくとも、それと同様に個人の自由や尊厳もないのである。だがそうは言っても、いかに自由主義体制の日本であっても、女性が意図していないのに半ば強制的にAVに出演させられているという状況は好ましくないという以上に、放任していてはいけないものであろう。業者が悪いと言ってしまえばそれまでであるが、全ての問題に共通して言えることであるが、誰かを悪者にすれば解決したり、社会改善がなされるという見方はあまりに単純過ぎるものである。もう少し踏み込んで考える必要がある。
そこで先ず、自ら積極的にAV女優に志願してなる女性を別にすれば、どういう経緯とどういう心理的なプロセスを経て普通(と言えば語弊があるかも知れないが)の女性が、AV女優に転落(これまた語弊があるかも知れないが)するのかと考えるに、ほとんどは東京や大阪などの若者が多く集まる街角でスカウトされて契約に至るパターンなのではないかと想像される。もちろんAV女優になりませんか、と正直に声を掛けてくるようなスカウトなど皆無である。モデルになりませんかとか、CMに出演するタレントとして登録しておきませんかなどと、言葉巧みに女性を安心させながら契約に引き込む手口が横行しているのだと考えられる。業者もビジネスでやっているのだから必死であって、ある意味においてはOA機器の会社が、携帯電話やファックスなどの機械をあの手この手で売り込む姿勢と何ら変わりはない。性が絡んでいるから必ずしも悪であるとも言えないのである。問題は、商品の売り込みであれば誰もがその人なりの冷静で正常な判断力でもって、買うか買わないかを決めることが出来るものであるが、AVの場合はそうではないということだ。どう違うかと言えば、こういうことを言えば女性は憤慨するかも知れないが、一般的に女は男に比べて自己肯定の度合いが強いものであって、特に若くて容姿端麗で、性的な魅力に溢れた女性であれば、普段からいろんな男に声を掛けられたり、誘われたり、ちやほやされることに慣れているので、街角でスカウトに声を掛けられても一応は警戒心を持つであろうが、全面的にスカウトの言うことを否定しないというか、いや出来ないであろう。心のどこかでプライドと上昇志向を刺激されて、もしかすれば本当にモデルやタレントになれるかも知れない、そうなればうまくいけば自分もセレブの仲間入りで、年収数千万円の道が開けてくるという考えが頭の片隅をよぎったとしても、無理からぬところもあると思われる。一旦、そのような心理状態に少しでも陥った時点で、スカウトの思うつぼでであり、契約書にサインさせられて、気が付いて見れば立派なAV女優になっていて、あんなことやこんなことまでさせられているということになるのであろう。もう一つの問題は当の女性自身が、そういう手口の過程で、その境遇を受け入れてしまうことにあるのではないのか。だからほとんどのケースでは問題として発覚すらしないのである。女という生き物は男に比べて生来的に馬鹿なのであって、馬鹿と言う意味は知能が低いと言うことではなく、環境に順応しやすい、環境に騙されやすいということであるが、Aという環境からFという環境への急激な変化は、男以上に露骨に拒否反応を示したり、毅然とノーを言うものであるが、B、C、D,Eというプロセスを巧妙に踏まれると、Fという環境や境遇に対して、当たり前のような感覚で受け入れてしまいがちなところが大きい。悪い男はそういう女の性質を巧みに利用するものである。それでAが一般的なOLや学生の状態であるとするなら、FというAV女優であるとか、最悪の場合には覚せい剤依存状態にまで陥ってしまうこともあるのであろう。現代の女郎のようなものである。誤解のないように断っておくが、別に私は女は馬鹿で悲しい生き物であるということを言いたいわけではなくて、誰が悪者かという単純思考ではなくて、資本主義社会の仕組みと人間心理との関連性を正確に見極めないと、誰かを逮捕したところで同じような問題は、いつまでも繰り返すだけであろうということだ。
その上で言わせていただければ、私はTVとか芸能界の有り方にも問題が大きいのではないかと考えるものである。男女に関わらず最近の若者は昔と比べてほとんどTVを見なくなってきているということであるが、そういう面では昔よりも賢くなってきているとも言えようが、それでも尚、一部の人間に対しては影響力が大なのであって、特にTVに出続けているタレントが、自分とは遠い世界の存在の人というものではなく、非常に親しみが持てて、友達感覚であり、一歩間違えればというか何かきっかけさえあれば自分もそういう人たちの仲間になれるのではないかという錯覚をまき散らしているようにも感じられる。ところが実際には、TVに出るタレントや役者になど、親が芸能人であるとか父親が元総理大臣の大物政治家であるというなら話しが別であるが、そういう特別なコネがない人間が芸能界を志して成功するのは何万人に一人であろう。夢を追うのはその人の自由であるし、中には本物の才能を有している人も少なくないであろうが、ほとんどの女性は使い捨てのAV女優どまりで、あんなことやこんなことまでさせられて、はい、さよならということになるであろう。そういう実状とか現実を、今の日本の資本主義体制やTVは若者たちに正しく示しているようには思えない。だからスカウトの言葉に騙されてタレントやモデルになるつもりが、契約書の強制力でAVに無理強いして出演させられるケースが発生するのである。それと今の時代は反社会的集団の追放などと、暴力団員に対しては人権侵害に近いようなことまでやっていながら、芸能界の闇の部分に関してはどういう訳か追及が甘いし、寛大ですらあるように感じられる。そういうことも要因として大きいのではないのか。誰か一人を悪者にして済ませようとするロジックに騙されてはならない。政治家の嘘は、AVのスカウトなどよりも数段、巧みであるのだから。