龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

舛添氏のせこさと豊かさへの課題

さてそれで、次の都知事は誰になるのであろうか。まあ誰でもよいが、誰になっても舛添さんよりはましであろうと考えざるを得ないことが情けない。因みに私はこれまで舛添と呼び捨てにしていたが、辞職の決断をしてくれたことへの感謝と敬意を込めて、舛添さんに格上げすることに決定した。しかし正直に言えば、まだ腹の虫がおさまらないところはある。それはあれだけ税金を好き放題に使って遊んでいながら、辞職にあたって在任期間2年4か月分の退職金、約2200万円が支給されるとのことだからである。夏のボーナス約380万円も支払われるらしい。(スポーツ報知の記事による。)何だそれは、こら舛添、全て返納しろ、と呼び捨てに戻したい気にもなる。
まあそんなことはどうでもよいのだが、今、改めて日本の民主主義の健全化のためにも舛添氏という人物の資質を検証したい。舛添氏はとても頭のよい人間である。東大法学部で首席であったか、鳩山邦夫氏と主席を争っていたとのことである。東大に入るだけでも大変なことなのに、主席となると言うまでもなく超エリートであり、政治家になって大臣や知事にもなれば、国全体を睥睨するかのような感覚になるのだと想像される。自信家で攻撃的な議論を好むところも、エリート意識と合わせて国益につながる性質のものであれば、何の問題にもならないどころか、むしろ日本の政治にとってはプラスになるはずである。ところがいざ週刊文春の記事によって、化けの皮がはがされて見れば、何の政治的な信条や理念もない、単にせこいだけの人間であったことが判明してしまったのである。それで国民の怒りにあって、辞職にまで追い込まれてしまった。それでは舛添氏の類まれなる頭の良さとは、社会学的に見て一体、何だったのであろうか。何だったのかと問う意味は、結局、どこにもつながっていないというか自己利益、自己満足のためだけに文字通り頭蓋の脳に自己完結している性質のものではないのかということだ。頭の良さと人間性は別の問題であると言ってしまえばそれまでだが、私は舛添氏のせこさは性格や人間性の問題ではなくて本質的には心の豊かさの欠如にあると思えるのである。心の奥底においては最終的に自分のことだけしか考えられなくて、そのためには自らの頭のよさやキャリアや社会的な地位をふんだんに利用するという態度は、資本主義の競争原理と混じり合って内面的に正当化され得るものであろうが、そこに見え隠れする本性は勝者のエゴイズムとでもいうべきものだけであって、根本的に心の豊かさが欠落しているゆえに本心から弱者や困窮している立場の人間を慮るということが出来ないのである。そういう人間が政治のトップに立つと、必然的にこういう結果になるという一つの見本のようなものであったという気がしてならない。舛添氏は頭のよい人間なので自分のそういう欠如なり弱点がわかっていたのではなかろうか。美術品を愛好して、コレクションとして収集していたのも(税金を使ってであるが)、恐らくは本能的に自分の心に豊かさがない空虚を埋め合わせしようとしていたのだと考えられる。しかし心の豊かさとは何かの対象や外部にではなく、心の内側にしか見出せないものであって、感性豊かな芸術品に囲まれているからといって自分自身が豊かになれる訳ではないのである。どれほど頭がよくても心に豊かさがなければそういうことがわからないのであろう。繰り返しはっきり言うが舛添氏のせこさの本質は、心の豊かさの欠如であり、もっといえば心の貧しさなのだ。
ここにおいて日本の教育制度の有り方にも言及されるべき課題があるのであって、今の日本はもう大量生産、大量消費の時代ではないのだから、旧来の頭の良さというものは社会の改善とか進歩と遊離してきているように感じられるものである。心に豊かさがなければ見えないもの、わからないことは確かに存在するものであって、反対に言えば心に豊かささえあれば、そんなに頭がよくなくてもいろいろなことが自然と見えてくるものであるし、理解できるようになってくるのである。特にこれからの時代は大量の情報を処理したり、分析するような仕事は人工知能のロボットに任せていればよいのであって、東大の首席であろうがハーバードの首席であってもそういう能力ははるかに及ばないものである。今、これからの人間に求められている資質とは純粋な頭の良さなのではなくて、最低限の知性を土台とした心の豊かさであるように考えられる。それではどうすれば心の豊かさが得られるのかということになると、私にもよくわからない。ただゆとり教育に回帰すればよいという訳ではないであろう。ゆとりが豊かさを生むとする考えはあまりに短絡過ぎるように感じられる。ゆとりがあれば人間はどうしても怠けてしまうものである。だから詰め込みも必要なのであろうし、ゆとりがないから心に豊かさがないとも言えないものである。ともかくも教育の有り方も日本の民主主義の成熟と合わせてもっと突き詰めて考えていく必要性がある。舛添氏のせこさは、そのような様々な今後の日本の課題を豊かに孕んでいる。