龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

FX投資における資金管理の重要性について

茫然自失という感じだな。私がではない。イギリスのEU残留を期待し、信じていた世界中の人々がである。私が直感的に危惧していた通り、やはりイギリスはEUから離脱する道を選んだ結果となった。因みにどうでもよいことだが、私のこの一大イベント前後におけるFX運用成績をご紹介することにする。参考になると思う人は、参考にしていただきたい。まあ、あまり参考にならないと思うけれど。私はFX歴半年の初心者なので大した金額ではやっていない。国民投票が開始された時点では、ドル円の買いで16,000通貨、平均約定単価@107.421、豪ドル円の買いで11,000通貨、平均約定単価@78.156にて保有していた。前回私が記事を掲載した6月21日の時点では、ムード的に離脱が優勢で、私の評価損は米ドルと豪ドルで確か8万円ぐらいにまでなっていた。ところが23日の投票日間際になって、どういう訳かイギリスでの世論調査で残留が優勢となり、その情勢を織り込み始めてドルと豪ドルの価格は上昇して行ったのである。日本時間の23日午後3時に投票が開始された時には、豪ドルは私の平均約定単価を既に上回っていた。しかしドルに関しては104円台で推移していたので、私の107.4円とは3円ほどの差があり、一気に取り返すには中々厳しい状況にあった。私が考えたことは、相場は絶えず目先を織り込んで価格を形成していくものであるが、織り込まれるものの実体は、論理的かつ信用性の高い材料ではなくて、単にその時点の曖昧模糊としたムードに過ぎないのであって、実際に投票結果がどうなるであろうかという予測とは別の次元の反映として見做さなければならない。前回の記事にも述べた通り、私は最終的に離脱となる可能性が高いのではないかと考えていたのであるが、一旦、投票が開始されてしまえば少なくとも投票が締め切られ、開票が開始される日本時間の24日朝6時までは残留優勢のムードは基本的に変わり様がないものである。よって開票開始後にムードが一変するリスクを考慮すれば、ムードが良い内に、すなわち残留ムードが支配している時間帯の最高値に近いポイントで売却すべきであると。そのような戦略から豪ドルに関しては23日の夜9時40分ごろに保有分全てを80.049円の価格で売り、平均単価との差189.3銭を抜いて、20,800円の利益を計上したが、米ドルの方は残留ムードだけでは3円も引き上げるには至らなかった。仕方なしに23日夜の間に2,000通貨買い増して、平均単価を107.20520銭ほど引き下げたがそれでも及ばなかったようだ。ようだ、と言うのはいくら何でも一晩中徹夜でパソコン画面を注視している訳にもいかず、24日1時ごろには寝てしまったからである。それでその日の朝になって、開票が開始されてしまえば案の定である。情勢は徐々に離脱ムードに押されることとなった。私は決して損切りをしないという手法を貫徹するつもりなので、止むを得ずまた1,000通貨だけ追加して、現時点の保有ポジションはドル円ロング(買い)を19,000通貨、平均単価が10690.7銭である。一時は100円を割って99円台前半まで円高が進行したので、12万円ほどまで含み損が膨らんだが、今は103円ぐらいに持ち直し、75000円ほどの損失額である。まあその程度の損失であれば痛くも痒くもないことはないが、さほど深刻になるほどでもない。しかし私は今後とも決して損切りしない手法を貫徹するつもりなので(損切りしないということは全保有分を一括決済して、その1回の取引収支トータルでマイナスにならなければよいという意味である)、資金管理だけはきちんとやっていかなければ大変なことになってしまうであろうと、深く肝に銘じている次第である。私はレバレッジを一応は25倍で設定しているが、実効レバレッジは15倍を超えないように管理している。さて今後の展開はどのようになっていくのであろうか。前回の記事にも書いたことではあるが、私は今はまだはっきりとした兆候が現れていないようであるが、いずれはドルの需要が高まっていくことになると思われるので、7月の雇用統計の数値にもよるが、中期的には110円近辺の円安レベルまで一時的には戻すのではないかとの観測をしている。ともかくも相場という魔物に立ち向かうのに大切なことは、一喜一憂しないことである。そして投資ということの目的と矛盾するかも知れないが、損を避けることよりも自らの信念を貫くことの方に最終的に価値を置くことではないかと私は考えている。資金管理の大切さとは、自らの信念を貫徹し得る限度内の金額に抑えることができるかどうかという点にあるのではなかろうか。その自己抑制が利かないのであればFXという遊戯はあまりにも危険である。そういうことをイギリスのEU離脱という世紀のイベントを通じて私は感じたのである。