龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

物価の安定を敵視する自民党の政治手法

日経新聞の記事によれば、消費者物価指数が1年4か月ぶりに前年比でマイナスに転じたということであるが、そもそも物価は伸び悩んでいると見るよりもこの数年、ほぼ一定に安定していると考えるべきではないのか。相場によって激しく動く為替や株価の乱高下に対して、物価の硬直性というか安定は果たしてそれ自体に問題があると見做すべきなのか。物価は複合的な要因によって一つの均衡点に留まっているのであって、本来は為替や株価も均衡点で安定すべきはずなのである。ところが相場は投機的な思惑によって過激に動き易いものなので均衡点で一定することはないが、物価というものは為替や株価ほどではなくとも少しでも安定が弱まったり、操作性が高まるということは私は危険であり問題が大きいと考えるものである。そういう意味では今の日本の経済において唯一、物価指数の安定だけが健全性の最後の砦であると見ることも出来るのである。物価に影響を与える要因はマネタリーベースだけでなく、給与水準の伸び率や、消費税などの税負担と可処分所得の割合による全体的な消費動向、企業の業績や需給関係、対外的な資本収支など様々な係数が折り込まれた数値なのであって、株や為替との根本的な違いは、物価指数が経済商品として売り買いの対象にはなっていないということである。それは言うまでもなく物価が、投資対象として乱高下するような事態になると国民生活が成り立たないからである。そういう意味では物価の硬直性なり安定性は、本質的には悪であるというよりも善なのである。何が言いたいのかと言えば、日本の政治の悪いところであるが全てにおいてスケープゴートのように問題を単純化させて排除すべき敵なり問題を一つに集約させて、それを諸悪の根源のように見做して政治運営していくことで、問題の解決ではなく政治権力の浮揚であるとか安定を図ろうとするところにある。物事を必要以上に考える習慣のない大衆にはわからないだけで、政治手法とすれば日本の政治は便宜的に敵を作って、利用するという点において中国や韓国などの後進国とレベルは同じなのだと思われる。むしろどちらかと言えば、経済分野においては日本よりも中国や韓国などの方が大衆への誤った教化に依存することなく国家的にシビアな現実を分析している点から考えれば、より進んでいると言えるのかも知れない。ともかくも安倍政権は、必要以上に難しいことを考えることを放棄して、その背景にはどうせ大衆には経済のことなどわからないであろうから、大衆の理解力のレベルでの経済改革を進めた方が政治の基盤強化につながると判断があるであろうが、不景気や民間活力低下など諸悪の根源を「デフレ」にあるとして、まるで戦争のように国家総動員体制でデフレを駆逐する戦いを開始したのであった。開戦後3年8か月経つが、戦況は思わしくないといったところだ。なぜならデフレという敵にはデフレ自体の正当性なり健全性があるのであって、その敵と戦うことは自らの健全性を毀損する自殺行為を意味することに他ならないからだ。これが日本の政治のレベルなのである。経済問題だけでなく、実際の戦争もそのようなレベルで進行していくものである。日銀に関して言えば、今の黒田氏が総裁に就任するまでは、日銀の本来の役割である物価の安定に忠実に努めていたので、不景気であったとしてもまだ日本の財政には一定の規律と健全性が保たれていたのだと考えられる。それが自民党の家来のような黒田氏に代わってから、明らかにおかしくという以上に無茶苦茶になってきているように危惧される。財政緩和などといっても日銀当座勘定が増えているだけのことで、民間への効果は微増程度に過ぎない。その微増部分に関しても、消費であるとか設備投資に投入されているのではなく、昨今においてはどうも低金利のもとで住宅建築に金が流れ込んでいるようである。消費財や海外への移転が進んでいる工場などに比べて、日本人が国内に住む住宅には常に一定の需要があり、住宅ローンの金利変動負担が大きいので、国内の余った金が住宅分野に流れていくのは当然のことである。しかしそれが景気好転への原動力となるかと言えば、甚だ疑問であり、むしろ今の経済の現状において、年間80兆円もマネタリーベースを増やしていくのであれば、いずれどこかの時点で住宅や土地のバブルが発生する可能性が高まっていくことも必然であり、その一部に特化したバブルの兆候が経済の全体性を歪に破壊することになるのではなかろうか。いずれにせよ今の思考停止、思考放棄に陥っている自民党や日銀に全面的に任せていてはあまりにも危険である。それに日本には与党も野党もない。昔も今も自民党の政治しかないのであるから、国民がもっと危機感をもってよく考え、声を上げてゆかなければ、我々の生活は壊されていく一方である。