龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政治不在の政治のコスト

それでは自民党の安易さは、何が要因になって発出するのかと言えば単純なことで自腹を切る訳ではないからである。新聞やTVのニュースは肝となる部分で本当のことは決して伝えないので国民は必要以上に難しく考えがちな傾向があり、それゆえに簡単に騙されたり誘導されるのであるが、世の中は思っているよりも単純な原理で回っているものである。慰安婦問題解決金の10億円にしてもそうだが、一旦予算の計上が認められてしまえば自分たちの給料や身分や党費には何の影響もない。政治家が意義があると考えて、その発議が承認されるかどうかが全てであって、将来的な結果責任が問われることはほとんどない。だから延々として同じことが繰り返されるのである。韓国もそういう日本の政治がよくわかっているので何度でも、その度に理由をつけて蒸し返してくる。だから私は政治家にこそコスト意識が必要だというものである。自民党の政治家は10億円もの金を出してもその成果について、要するに本当にそれで事態が収束するかどうかについて、ほとんど頓着していないものと思われる。何年後かに韓国がまたごねることがあったとしても(そうなる可能性は高いが)、その時にはもう今回の10億円の拠出については誰も問題にしないであろうし、その時にはその時の対応で、また必要なら追加金を出せばよいぐらいにしか考えていないのであろう。要するに無責任なのである。自民党のばら撒きは、コスト意識がないゆえに本質的に無責任極まりないものである。そしてその蓄積が巨額の財政赤字となって、じわじわと国民生活を圧迫していくものである。日本における国力低下や経済疲弊化などの諸悪の根源は、本当はデフレでもグローバリゼーションでもなくて、政治(自民党)の総体的なコスト意識の欠如にしかないものと考えられる。今や日本の政治とは、政治稼業とでもいうべきか、畢竟するところ政治のための政治であり、国家のことや国民のことなど何一つとして考えられていないものである。外見の体裁だけ取り繕われているだけに過ぎない。もっとはっきりと言えば、政治そのものが不在なのだ。その不在の政治に、膨大な政治資金が投入されているのである。この事態に対して多くの国民が目を覚まし、もっと憤りを感じなければならない。自民党が得ている170億円の助成金にしても、一口に170億円といってもこれはとんでもない金額である。一民間企業が1年間に170億円の売り上げを上げるのにどれだけの人的な労働が必要とされるか想像していただきたい。大変な労働量によって170億円の売り上げとなっても、そこから仕入れ代金や人件費などの販売管理費を差し引いて営業利益が10億円ぐらいになったりするものだが、自民党は国民の税金で何の労働も苦労もなく、正味の手取りとして最初から、170億円を獲得しているのである。この特権の大きさというものがいかほどのものか、我々庶民が想像することは難しいと思うが、対外的に自主権の欠如した日本の政治にそういう特権が必要なのであろうか。コスト意識がないままに海外にばら撒いて、目に見えない巧妙さでそのツケを国民に押し付ける結果にしかなっていないのではないのか。そうであれば、このような政治不在の政治であれば、その虚構を打ち砕いて、一旦政治を白紙化させた上で官僚主導の政治体制にする方が、少なくとも財政健全化への出発点となり、日本にとって本当に必要な民主主義の在り方を考える端緒となるのではないのか。そういうことを一人でも多くの国民に考えていただきたいものである。私は考えている。誰にも相手にはされないが、それでも考えているのだ。