龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

悪いのは誰だ、問題は何だ。

皆さんにもぜひ考えていただきたいことだが、我々の生活は、微罪を厳しく罰せられることで、社会的に統制、管理されている。たとえばセクハラとかDV、痴漢などである。と言えば男性が加害者になる行為ばかりであるが、男女間の問題というよりも、男女間の問題は、誰もがちょっと油断していれば、あるいは運が悪ければ加害者になったり、被害者になり得るというところに意味があるのであって、これが殺人であるとか強盗となると話が変わってくる。そのような重大犯罪は、その単発の事件性そのものが社会的な影響力を持ち得るが、全体的な発生件数が少ないと言えば語弊があるかも知れないが、政治が社会統制や道徳的な訓育に利用できるだけの数ではないということである。それに比べてセクハラとかDVなどは、どこにでもあるような話しであり、犯罪と言うよりは内輪の揉め事である。痴漢は内輪の揉め事ではないが、微罪であることに違いはない。まあ言ってみれば、どうでもよいと言えば、世間的にひんしゅくを買うであろうが、それでもどうでもよいことである。このようなどうでもよい国民の揉め事が政治的には、特に日本のように外交上の自主性を未だに持ち得ていない統治体制にとっては、きわめて利用価値の高い材料となるのである。そして日本人は元々が真面目な民族だから、政治的に常に騙されるというのか、一部の為政者や管理者にとって都合の良い道徳観や、その延長上に作られた法律の型にはめられるようにして、日々の生活を慎ましやかに送っているものである。その統制の枠組みから完全に外れてしまっている暴力団や反グレなどの人間もいるが、概していえば私も含めてごく一般的なピープルは、汲々とした道徳観念や遵法精神に、蜘蛛の糸に囚われた蝶か蛾のように、もはやもがき逃れようとする気力もなく、ただ延命するだけのために生き長らえている。そうは言っても、誤解のないように断らなければならないことは、個別に見ればいろいろあるが、私は何も日本の道徳や法律を批判、否定している訳ではない。道徳は思想、信条の問題であるから、一口に日本の道徳などと言っても漠然としているが、法律は、日本は一応は法治国家であるのだから、たとえどのような悪法であろうとも順法精神を持って従うことが当然である。女性が夜道を一人歩きできるほどの日本の安全性が、国民への小市民的な洗脳によって保たれているのであれば、外交上の隷属は次元の異なる問題と考えて、日本の内部的な統制を底辺から維持するために、市民を微罪で厳しく取り締まることで平均的な国民知性の政治批判能力を去勢させる必要性もあながち無いとは言えないのかも知れない。しかしそれは最低レベルの話しとして、法律の整合性や無矛盾性が崩れることなく、きちんと運営されているという大前提でのことである。痴漢やDVとは異なるが、ギャンブルもまた同列である。殺人やレイプのように「特別の人間」が手を染める行為ではなく、誰もがする可能性があるものであるゆえに法律上の規制や禁止は、日本の統治手法と深く関連している。よって賭博を禁止するのであれば、そして日本の法治主義を諸外国に誇りたいのであれば、賭博に対する取扱いこそグレーゾーンや曖昧さがあってはならないものである。ところが日本のパチンコに関しては、年間に20兆円以上もの売り上げ規模があるにも関わらず、未だに警察はパチンコを賭博として認めていないものである。娯楽であるとか遊戯であるなどという訳のわからない立場、主張を崩していない。それでいながらパチンコ台についての投機性や換金所の設置場所などで、警察がパチンコ業界に対する強い権限を行使させることで、公営ギャンブルにおける特殊法人のように、警察組織がパチンコを利権化させているものである。これがどういうことかと言えば、端的にわかりやすく一口で説明すれば、警察は嘘をついているということである。年間22兆円もの賭博を嘘で否定している訳だ。こういう嘘を平気でつく組織が市民を何らかの事件で取り調べをする時に、果たして信用できる正しい捜査や処理がなされるとみなせるであろうか。みなせるかも何も現実には警察は完全に信用を失っている。適正な捜査や処理以前に、今日における警察の様々な犯罪や不祥事が増大化してきている根本的な原因は、元を糺せば、警察組織が全体としてパチンコで嘘をついていることに出来しているものである。これは考え方の問題ではなく実際にそうだと思われる。日本の法律や法治主義を否定するような姿勢を維持し続けている権力機構が、組織的な健全性や清廉性を保てる訳がないものである。警察には元々、腐敗、堕落の芽はあったと思われるが、それでも一昔前までは日本の警察は諸外国に比べて優秀であり、汚職が少ないとして市民にも信頼され、評価されていたものであるが、今や時代の流れと共にその神話は完全に崩壊している。その背景は警察組織があまりにも巨大であるためにパチンコにおける嘘の自家中毒症が全面的に発症するまでにそれなりの年月を要したことと、日本の政治の無力、無能が、これまで警察の腐敗を食い止める力を全く持ち得てこなかったことがあると考えられる。ともかくも今の警察は悲惨の一言である。現職警察官による殺人事件や強姦事件も一昔以前であれば警察庁長官が辞任するほどの大問題になったものであるが、今ではそういう事件が頻発していて、珍しいものではなくなってきており、誰も監督責任のけじめを取ろうとしない。ほとんど警察の腐敗の暴走が放置されているようなものである。今朝の朝刊にも逮捕された兵庫県警の警察官から覚せい剤の陽性反応が出たとの記事が掲載されていたが、もうそういう事件が当たり前になっていてもはやだれも驚きさえしない。このような状況であるのに、いやあるがゆえに、警察の体面と威厳を保持させるために、そして法治主義の幻想を維持するために、我々一般市民はどうでもいいような微罪で厳しく取り締まられて、政治批判能力を放擲しなければならない理屈となるものである。一方で検挙率はどんどんと低下し、未解決事件は増加している。警察は全く自浄能力を持ち得ていないし、飛行機が墜落するごとく堕落するのみである。日本の政治は、自民党はこのような状況に問題意識を持たないだけでなく、新たなカジノ利権を作り上げようと目論んでいる次第である。こういうことが許されるのであろうか。いつまでも放置され続けてよいものか。誰かが声を上げなければならないはずである。政治には期待できない。一人でも多くの人に考えていただきたいものである。