龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

政治と性の関連について

たとえば前川、前文科相事務次官が就任中に「出会い系バー」に頻繁に出入りしていたことを記者に追及され、女性の貧困がどうとか訳のわからない回答を汗まみれになりながらしている場面を、NHKだったか民法のニュースだったか忘れたけれど最近、見たものである。ところで出会い系バーなるものがもし大阪にもあるのであれば、私も一度ぐらいは社会勉強のために行ってみたいものだ。しかし私はもう酒を止めてしまっているので残念なことだ。そんなことはまあどうでもよいのだが、官僚と政治家の間には、内輪の論理で、情報のリークであるとか、その報復だとかいろいろあるのだろうが、あのようなシーンを見ていると、報道する側の意識として女性に対する人権や性のモラルに根差した社会性であるというよりも、何かしらサディスティックな攻撃性やいじめのような気配を私は感じてしまうのだけれど、皆さんはどうなのであろうか。菅官房長官も、教育行政のトップにある者がそのような店に行くようなことは考えられない、などといかにもごもっとも発言をしていたが、確かにその通りであるが、ならばそのごもっともな見解を是非、詩織さんの問題にも適用して、きちんと真相を国民に分かりやすいように説明していただかなくては困るというものである。どうですか、菅さんも安倍総理も何も言えないでしょう。結局、ここに見られる日本社会の仕組みとは、大事なことなので皆さんにもよく咀嚼して、ご理解いただきたいのであるが、性にまつわるスキャンダルや事件というものは、事実であろうと冤罪であろうと無関係に、基本的には全て「政治利用」の材料なのである。政治利用であるからこそ、必然的にその裏側の政治操作として詩織さんの問題のような、もみ消しも発生するということなのだ。そしてそのような性の政治利用があまりにも乱用されて、行き過ぎているがゆえに、人心も世相も狂ってきているものであって、このような事態は全て政治と政治に深く癒着しているマスコミの責任なのだ。と言っても釈然としない人の方が多いであろうが、こういうことが、すっと理解できるかどうかということは頭の良し悪しではなくて、意識の問題なのである。私は政治家でも官僚でもない一般人だが、別に自慢する訳ではないが、そういうことは目の前の物を見るようにごく自然に理解できる、というかわかるものである。しかしどうもほとんどの人はわからないようなのである。わからないというよりも自分とは直接、関係のないことだから関心がないのか、まあはっきり言えばどうでもよいことなのであろう。ところが私にとっては、私も一般大衆と何ら違いはないはずであるのに、決してどうでもよくはないのである。どうでもよくないどころかもの凄く腹が立つし、ものすごく空しいのである。この違いは何なのであろうか。繰り返すが、これは何も自慢しているわけでもないし、自分を美化しようとも思っていない。そういう自己宣伝が恥ずかしいと思うだけの感受性は持ち合わせているつもりである。そうではなくて本当に私の人生における最大の謎なのだ。他者がわからないというのではない。一人一人のことは話しを聞けば、よく理解できるのだが、大衆という大きな生き物とでもいうか、まとまりの意思なりベクトルがよくわからない。ただ言えることは、一般大衆の意識をコントロールしているものはマスコミなのであって、その大衆意識という接点において政治とマスコミは深く結びついており、その結びつきの可否や在り方を公共の利益との観点から監督したり、深く研究、追及するべき組織なり、フィールドというものは日本には存在しないということである。要するにわかりやすい言葉で言えば、政治とマスコミは、「やりたい放題」ということなのである。
まだまだ続くぞ。私の心には火がついているのだからな。