龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

国民の非人間化を推し進める日本の政治

想像された以上にこの国の政治は腐敗している。性犯罪の厳罰化を審議するというのであれば、そのまえに目の前の問題である詩織さんの一件に対して、なぜ一旦発行された逮捕状が執行されなかったのか、どういう捜査と判断で不起訴の処理に付されたのかということについて、安倍総理近辺の関与が疑われているのであるから、また睡眠剤が利用された悪質なレイプ事案である可能性も小さくないのだから、国会で参考人として当時の警視庁刑事部長やTBSの社長も召喚した上で、安倍総理と側近の関与を追及するべきではないのか。そういう肝心なことは放置しておいて、法律だけは厳罰化させるというのであれば一体誰のための法律なのかということだ。国民に対する締め付けだけは厳しくして、事件や問題の真相はどうでもよいという態度でしょう。それが果たして、国会議員の取るべき態度なのか。籠池森友学園加計学園問題では、野党は安倍総理を追及できても、何でより重大な事案であるレイプもみ消しのような事案では追及しないのか。追及しないどころか、野党も自民党の結託してこの問題が大きくならないように足並みをそろえているようにさえ見えるものである。それでは日本の政治は、「超党派的」に一体何を守ろうとしているのかというである。マスコミの権威と権益なのか、それともマスコミとの癒着なのか。またなぜそのような民主主義の道理を大きく外れた態度を、日本の政治は取らなければならないのか。その必要性とは何なのか。こういうことは我々日本人の一人一人にとって、決して自分とは無関係の問題ではないのである。それらの問いかけは、日本と言う国家は一体何なのかということで、自分とは何なのかということでもあるのだから。そういう思考を一切、放棄してしまうということは、人間としてよりも動物的であることを甘んじてしまうことであると私は考える。日本の政治が、国民が動物的であることを密かに望んでいてそのような統治形態をマスコミとの協力関係の中で推し進めているのだとすれば許されないことだとは思わないですか。陰謀論云々ではなくて、これは目の前の歴然とした政治の現実なのだ。人間は人間としてこの世に生まれてくるのではないと私は思う。真の人間になるための努力を生涯を通じて続けていく必要があるのだ。