龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

人としての怒りについて


以前からの私の持論で、人間は怒るべきところで怒れなくなったら人間として終わりであると考えているのだが、そういう意味では、日本はそして日本人はもう終わりつつあるように感じらものである。人間は人間としての矜持をかけて、怒りながら真の人間らしさと人間であることの意味を追い続けなければならない。そうであれば、何度も引き合いに出させてもらって申し訳ないが、詩織さんは一人の女性として、人間としてきちんと怒りを表明しているのだから、偉いと思う。これは何もお世辞を言っているわけではなくて、28歳ぐらいの年齢で、たった一人で国家権力を相手に戦うということは、傍目に見るほど簡単なことでないことは理解できる。自分だけの問題ではなくて、親や姉妹も当然のように反対するであろうし、顔や名前を晒せば、いつどんな嫌がらせをどこからか受けるかもしれないという恐怖や不安に付きまとわれることにもなる。特にご両親の立場であれば、国や警察を相手に戦うような大胆なことはしないで、辛いことは早く忘れて、誰かいい人を見つけて早く結婚して幸せになることだけを考えてくれというようなことを言うものであり、それが親とすれば本音であると思われる。だからそういう困難な状況のなかで一人の女性が権力を相手に戦っているのだから、やはり女であるとか男であるなどは関係なく、応援してあげなければならないと思うのだ。性被害というと男女問題という政治意識の中で捉えられ、解釈されてしまう傾向が強いが、私は権力による理不尽な仕打ちに対して一人の人間としての尊厳をかけて怒るということに、男女の区別はないと思う。詩織さんはレイプされたことで傷ついているのに、さらにその事件をもみ消されたことでより一層の、普通の精神力であれば立ち向かえないほどのダメージを受けているはずであるのに、凛として顔と名前を出してまで訴えているのであるから見習うべき点は多いと思うし、やはり一人でも多くの人が支えてあげなければならないと思う。繰り返すが、男も女も関係ないのである。とにかく、もみ消しであれ冤罪であれ、今の私の立場のように第三者としての傍観する者の意見であっても、許せないことは許せないのだ。間違っていることは、間違っているのだ。正義感として捉えられることが多いが、正義感と言うものとは少し違うような気がする。人間として生きていることの意味を手放さないということだ。正義感などというものは、少なくとも今の日本においては強者が弱者に押し付ける価値観であるような気がする。だから、そうであれば、正義感などはいわゆる「勝ち組」以外には不要な概念なのである。必要なのは一人の人間として生き続ける内的な意味合いだけである。
さて話は変わるが、最近、読んだ本に詩織さんと同様に性犯罪被害に対して、実名と顔写真を公表して戦っている女性のノンフィクションがあるのでそれについて述べさせていただくことにする。小林美佳さんの『性犯罪被害にあうということ』(朝日文庫)であるが、この本の内容についてはいろいろと思うところが多いのだが、それについて言及する前にまず言いたいことは、別に偉そうに自慢できることでもないが、私はこういう本も時には読んで、しっかりと自分の頭で考えて消化した上で、詩織さんの件についても意見を述べさせていただいているのであって、決してその場の思いつきや感情を言葉にして発散させているわけではないということである。記事の字面や映像の映し方によってその場限りの印象操作に終始しているのは、新聞社やTV局のマスコミ組織の方であって、私の主張をそういう類のレベルと一緒にされたくはないという気持ちはある。むしろそのような性質の無数の情報と対立するところに私は自分の存在意義を求めたい。別に誰にほめられなくとも、認められなくても、儲からなくてもよいのである。そこに自分が生きていることの内的な意味があるかどうかということだけだ。もう一つは朝日文庫とは朝日新聞出版が発行する文庫本のことで、朝日新聞出版とはいうまでもなく朝日新聞社の子会社である。小林美佳さんが執筆した『性犯罪被害にあうということ』のように女性が性被害に際して勇気を持って戦う姿勢を応援する理念というかポリシーで朝日新聞社朝日新聞出版は活動しているはずであるのに、どうして朝日新聞や系列の朝日放送は、今回の詩織さんの件に関しては報道しないのであろうか。私が見落としているだけかも知れないが、少なくとも積極的に報道している気配はまるでない。これを偽善と呼ばずして、一体何が偽善なのかという思いだ。公共性の要とされる新聞やTV放送であろうと多少の偽善は必要不可欠であるということであるなら、私も必ずしも否定はしないが、最初にそのような断りを入れてから報道していただきたいものだ。さてそれでは、小林美佳さんのノンフィクションについて感想を述べさせていただくが、別に私は批判したり、中傷するようなつもりはまったくないのでご安心いただきたいが、全体的な趣旨としてはご想像いただける通りに、あまり作者もしくは女性の共感を得られるものではないと思うが、別に私は女性に媚びるつもりもないので正直に述べさせていただくことにする。本書についての感想は、読み終えてから1か月ほどであるが、私の心の中で静かに発酵し続けてきたのであって、今こそ自分自身の言葉に置き換えて伝えたいという気持ちであるが、今日はたくさんの投稿で疲れてきたので次回に続く。