龍のひげ’s blog

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『性犯罪被害にあうということ』について

民進党の井出議員が、性犯罪厳罰化についての審議の国会の場で詩織さんの問題に対して捜査の検証を要求したということであるが、今の段階ではまだ信用できない。民進党自民党との阿吽の呼吸で、あくまでも一時的に国民の怒りの「ガス抜き」としてそのような発言をしただけの可能性が大きいとも考えられる。民進党はそして自民党もそういう政党である。本質的な中身は全く同じであって、何の違いもないものであり、まあ言ってみれば「仲間」みたいなものである。
さて前回に述べた、小林美佳さんのノンフィクションである『性犯罪被害にあうということ』についての感想を述べさせていただく。内容について私の記憶違いよる相違があればお許しいただきたい。美佳さんは24歳のときに見知らぬ二人の男にレイプされた。司法書士事務所に勤めていて、その帰りに駅から自転車に乗って自宅へ向かう途中のことであるが、美佳さんは当時、交際していた男性と喧嘩したのか別れたのか、何日か前のそういう悲しい出来事のことを思い出しながら、涙ぐみながら自転車のペダルを漕いでいたのであった(と思う。)それでその精神的な不安定さゆえにか、いつもとは異なるルートを選んでしまって、公園の近くまで来たときに、停車した車のなかにいる運転席の男から、駅までの道を教えて欲しいと声を掛けられたのだ。美佳さんは方向を教えたのだが、男はそれではよくわからないから地図で教えて欲しいと言い、美佳さんは仕方なく自転車から降りて車のウインドウに近づき男が持っている地図を見ようとした。そしてその時に、美佳さんの背後にもう一人の大きな男がいることに気がつき、その男は、美佳さんが自転車のハンドルに掛けていた、仕事の重要な書類が入っているカバンを手に持っていたのであった。美佳さんはひったくりかと思い、あわててそのカバンを取り返そうとして追いかけたが、四輪駆動車の後部座席に乗り込んだ大きな男に車内に引き込まれて、カッターナイフで脅されながら服を脱がされて、レイプされたのである。まさに卑劣極まりない犯罪である。その場でなされた男たちの会話はリアルで生々しいものであり、その時に美佳さんは生理だったのであるが、美佳さんは生理だから解放してもらえるのではないかと、ほんの少しは期待したのであるが、一人の男からはそんなの関係ない、もったいねえなどとレイプされて、もう一人の多分車のオーナーの方は、車が汚れるのを嫌がって、ことに及ばなかったということである。レイプという重大な犯罪に共同で関わっていながら、愛車が汚れないことを優先するという歪んだ潔癖感は、まさに犯罪者の心理がよく表れていると私は興味深く感じたものであった。
話しが長くなるので、まずここまでのことについて、性犯罪について予防の観点から意見を述べさせていただく。これは前から私が感じていたことであるが、性犯罪被害、特にレイプについて車はとても危険な道具となるものであり、若い女性はもっと車に引き込まれることについての警戒感を持たなければならない。レイプ犯側からすれば、一旦、車の中に引き込むことに成功してしまえば、密室なので窓ガラスにフィルムなどを貼っていれば外部からは見えないし、声も聞こえない、また誰か人がくればそのままに移動できるという利点があるので、非常に都合がよいというか、捕まるリスクも小さいのである。現に美佳さんのケースも、その後の捜査において容疑者が特定されることもなく、犯人は結局、逮捕されていない。女性は人気のない寂しい夜道を一人で歩いている時に、背後から足音が聞こえてくると本能的に警戒して、速足になったりするものだが、車の中から声を掛けられることに対しては意外と警戒心が薄いものである。それゆえにこのような美佳さんの場合と類似したレイプ被害が、具体数はわからないが、毎年、相当数が発生しているのではないかと推測されるものである。私が声を大にして言いたいことは、女性はもっと車が背後からゆっくりと近づいてきたり、車の中からいきなり男に声を掛けられるという状況に対して警戒心を持たなければならないということだ。声を掛けられても迂闊に車に近づいたりしては、絶対にダメである。レイプされるだけではなく、殺されることもあり得るのだから。怖がらせるつもりはないが、殺されてもどこかに埋められてしまえば、家出による行方不明者リストに名前が載るだけのことである。現実にそのようなケースが数多くあるのだと思う。繰り返すが、女性の性犯罪被害において車という存在は、大敵である。今の時代は至るところに監視カメラが設置されているが、車内まで映すことは不可能である。犯行車両が監視カメラに映っていれば、検挙される可能性も高いが、犯人は恐らくは、そういうことも下調べして場所を選んでいるであろう。また夜だけ警戒すればよいというものではない。車内に引き込まれてしまえば、昼も夜もないのだから。男もたとえレイプとは無関係でも車の中から女性に声をかけたりすべきではないと思う。そういうことは、マナーになるべきだと私は思う。ここにおいて私が訴えたいポイントは、それではなぜ女性の性犯罪リスクに対する車への警戒心が薄いのかということであるが、それはそのような社会的な注意喚起が全くといってよいほど、行われていないからである。女性にお聞きしたいが、車の中から見知らぬ男に声を掛けられてても、傍に近寄ってはいけませんなどというポスターなり警告文を一度でも見たことがありますか。ないでしょう。美佳さんだってそういう警告に一度でも接していれば、レイプ被害を避けられたかも知れないのである。さらに踏み込んで考えれば、それならどうしてそのような注意喚起が行われていないのであろうか。警察などはレイプの手口として車が多く使われていることを熟知しているはずなのである。痴漢においては至るところに、痴漢は犯罪です、のポスターが張られ、絶えずそのような放送が流されているに、あまりにも対照的であると思わないですか。それは私が、「全ての性犯罪は基本的に政治利用の材料である」と言及したことと深く関連しているものであるが、レイプは一人の女性の人生そのものを狂わせてしまうほどの破壊力を持つ犯罪であるが、その絶対数が、痴漢のような微罪と比べると圧倒的に少ないと言うことである。つまりは、「キャンペーン」の対象にはなり得ないということなのである。反対に言えば、痴漢は数が多いからこそ、痴漢撲滅キャンペーンの対象になるのであって、権力側から見れば当初は数が多くないと困るのである。これだけ多かった痴漢の発生数が、キャンペーン活動のおかげでこれだけの数にまで減少しました、というところの右肩下がりのデータが政治の成果として必要なのであって、その論理構造の中には、冤罪であろうとグレーゾーンであろうと検挙数としてカウントしなければならない必要性が内在しているのである。一般的な女性の皮膚感覚から見れば、理屈っぽく感じられて受け入れ難いものであろうとは想像されるが、しかしこれが日本の政治の実態なのだ。とは言っても、もちろんレイプの手口への注意喚起はなされていなくても、一旦、女性からレイプの被害届が出されれば、日本の警察は容疑者特定と逮捕へ向けて、捜査はしてくれるであろうが、政治利用のキャンペーン活動ばかりが優先されて、結果的に冤罪が増加し、レイプなどの重罪から身を守るための啓蒙活動はほとんど全く行われていないというところに、日本の腐敗が凝縮されていると見れるものである。そして、そういうことが理解できるかどうかということは意識の問題なのであるが、皮膚感覚や生理、生活感覚だけで社会を見ていても、なかなか意識は上がってはいかないし、本質も見えてはこないものである。長くなるので『性犯罪被害にあうということ』についての論考は、次回に続く。