龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

歪められた民主主義の虚構劇

ニュース報道を見ていると馬鹿らしくてならないのだけど、加計学園の件についてはそんなに大きな問題にすべきことではないだろう。仮に初めから「加計学園ありき」であったとしても、安倍総理加計学園の理事長と長年の友人であっても、政治や文科省獣医学部新設の必要性があると判断したのであれば、その程度のことは言ってみれば政治権力の許容範囲内と見なすべきことで、それがそんな大問題になるのであれば政治は何も率先してできなくなるではないか。もちろん背後に不正献金や賄賂があるのであればれっきとした犯罪行為なのだから話は別である。しかしそういうことが現時点では出ていないのだから、確かに安倍総理に慢心なり増長があったことは認められるであろうが、その可否は有権者が選挙で判断すべきことである。前川氏は行政が歪められたと言って批判しているが、この騒ぎそのものが日本の民主主義が歪められたプロセスの中で発生していることを理解する必要性がある。2009年の総選挙の時には民主党が、官僚主導から政治主導への転換を公約として打ち出し、それが有権者に多大な支持を受けて勝利したものであるが、あの時の「政治主導」とは一体、何だったのであろうか。政治主導も行き過ぎれば、政治の私物化や権力の乱用につながる恐れがあるので監視は必要である。しかし加計学園の問題は、国会に前川氏を参考人招致までして、政治利用のパフォーマンスが行き過ぎていると考えられる。こういうことが全て、意図的に作られた民主主義の虚構なのだ。前川氏も結局はそのような構図の中で利用されているだけなのである。我々国民は全体的な構図を俯瞰して、観察、理解する目が必要なのである。自民党を批判しても、マスコミを批判してもそれは構図の中の一部分であって、全体性の理解には至らないのだ。天才棋士藤井聡太4段ではないが、将棋に勝つためには全体の局面が正しく理解する必要があることは当然のことである。一種類の駒にこだわって全体を見ず、角が悪いとか、いや私は飛車が好きだから絶対に飛車だけは失いたくないなどと言っていれば、勝てる訳がないでしょう。それと同じである。将棋の例えで言うならば、最終的に守られるべき「王」とは何に相当するかと言えば、天皇制であるとか天皇陛下ということではなくて、民主主義制度における国民の生命とか財産ということでしょう。そういう大切なことが歪んだ構図の中で見え難くなっていて、今の日本は危機に晒されているということなのである。将棋で言えば詰まれそうになっていて、投了寸前になっているということである。よってこのような加計学園の問題もそれがどのような意図で指された一手なのかということを、熟考しなければならないということだ。