龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本と欧米の人権意識の違いについて

本当に日本と言う国は、他国からの干渉は嬉々として受け入れるのに、日本から他国の国内で行われている人権侵害については、内政干渉はしないという外交姿勢よりも、容認しているようにすら見えるものである。今からもう20年以上前であったであろうか、大阪城公園に散歩かジョギングで訪れると、堀付近の道端に座り込んで大きな写真を翳しながら、何やら訴えている数人の中国人の姿があった。法輪功への中国政府の迫害についてである。暴行を受けて血まみれの腫れ上がった信者の顔写真を見せながら、日本人に中国政府の非人道的な実態を拡散しようとしていたのである。法輪功の信者といっても単なる気功集団で、太極拳の武術と大差がないものである。なぜそのような集団が中国政府に弾圧、迫害されたのかと言えば、信者数が中国全土で数千万人規模にまで膨れ上がったことを、共産党に敵対する政治性が醸成されていく可能性を危惧されたからだと言われている。当時、大阪城などの日本国内で、法輪功への迫害の実態を日本人に知らしめようと活動していた中国人は、日本という国は中国とは違って民主主義国家であることから、当然、人権意識も発達しているであろうと考え、日本の人権意識や良心が国連に働きかけてくれたり、外交的に抗議してくれるであろうことを期待していたものだと思われる。ところが日本は、中国とは別の意味で、恐ろしい国であるとも見れる。中国や韓国に、今から70年前以上の真実性もよくわからないような戦争中の加害行為で批判されると、闇雲に謝罪したり、新たな援助を供与したり、鳩山由紀夫氏のように高尚な思想とも言えないような自己満足だけのご趣味で、土下座外交をしに出かけたりするものだから、中国人から見ればよほど日本の人権意識が発達しているであろうと考えてしまうのも、無理からぬことである。ところが実際はそうではないのである。それは普遍的な人権意識とは、全然、「別物」なのである。だから中国政府の法輪功への迫害についても、日本政府は全く、無視、無関心であった。日本政府だけではなく当初はマスコミもそうだったのである。ところが私が大阪城でそのような中国人の活動を見てから数年後には、新聞紙面や週刊誌にも法輪功への迫害が報道されるようになってきた。しかしそれも日本が自発的にそのようなことを問題として取り上げたからではなくて、欧米の国々が問題視するようになってきたことから、日本としても無視できなくなってきたからだと思われる。その頃には法輪功集団への、単なる暴行だけでなく、虐殺や臓器狩りの疑惑が大きくなってきていたものであり、アメリカなどはその実態を調査団を作ってまで調べさせていたようであるが、その辺の詳しいことについてまでは日本人はほとんど知らされていない。私は個人的には、臓器狩りは相当数レベルで実施されていたのではないかと考えている。その一方で日本は、中国との関係性において軍事的な脅威の増大は認めつつも、パンダ外交のような児戯に等しいパフォーマンスで関係改善に努めたり、日本国内の雇用や技術を犠牲にしてまで、中国との経済交流を拡大させてきたことは周知の通りである。私は以前から考えてきたことであるが、日本人と(正確には日本だけでなくアジア全体に言えることだが)、欧米人では「人権」というものに対する意識が、根本的に異なるように感じられるのである。宗教観の違いがあるのかも知れないが、欧米人は「人間」として、人間を代表して虐殺などの迫害行為に対して、はっきりとNOと宣言し、時にはそのために戦うことも辞さないのだけれど、日本人或いはアジア人は人間としての尊厳や価値を守るという意識は希薄で、それよりも上位観念として、憲法や法律などによる秩序の保たれた統制を重んずるというところが大きいように感じられる。「法治主義」などといえば体裁はよいであろうが、はっきり言えば、日本は背後に絶対的な権力や世論の支持という後ろ盾があれば、割と虐殺や人権弾圧などの行為にも寛容なところがあるのではなかろうか。死刑制度の存続などもそういうこととの関連性があるように思われるし、もっと言えば、当時の日本政府は知らなかったであろうが、ユダヤ人の迫害をしていたナチスドイツと同盟関係を結んでいたことや、原爆を投下したアメリカに対して敗北を認めた瞬間に、アメリカナイズされたアメリカ一辺倒の民主主義に染まってしまったことも皆、同じである。だから日本と言う国は、偉そうに我が国は法治主義の民主国家だなどと世界に吹聴したところで、中身が空疎というか、本物の精神性が欠片もないのである。精神がないものをあるように誤魔化したり、見せ掛けることが、戦後の政治や思想の本質であったとも言える。だからこそ憲法9条こそがノーベル平和賞に相応しいなどという恥ずかしい主張ができるのであろう。私も一人の日本人なのだから日本の地位を貶めるようなことは決して言いたくはないのだけれど、これではダメだと思うのである。日本はアジアの先進国なのだから、日本だけでなくアジア全体の人権意識や地位を高める使命感を持たなければならない。中国の人権侵害に対しても毅然として批判できなければ、世界から見れば中国も日本も大差のない国だとみなされても仕方のないものだと思える。但しそうは言っても、今の日本の政治にそのような大それたことが出来るものではないこともまた悲しいかな絶対的な事実であるので、我々国民レベルで中国製の衣料品や食品は買わないとか、そのような活動を自らの良心に従って展開させていく以外に道はないのだと私は考えているのだ。