龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

低能番組の害悪について

それからついでに、元宮城県知事の浅野史郎氏が、日本テレビ系の「ミヤネ屋」という報道番組かバラエティーかわからないような番組にコメンテーターとして出演して、高須クリニックの問題に関し、名誉棄損ではないと自説を述べたところ、高須氏が激怒して訴えると恫喝し、翌日に宮根アナが浅野氏に成り代わって謝罪した件についても述べさせていただく。放送の内容に対して、当事者である高須氏が訴える、訴えないという判断は、まあ言ってみれば本人の自由であるというか、日本は誰であれ、何度でも好きなだけ、提訴をする権利は認められているので、それ自体を問題視することは難しいとは思う。しかし放送するTV局側の問題性は別である。一旦放映した内容に関して、訴えると言われて翌日に謝罪することはTV局の好き勝手にできることではない。なぜならこの問題は高須氏が大西健介議員と民進党を訴えている係争中の事案なのでしょう。私はその番組を見ていないので、どのようなニュアンスで発言されたのかわからないが、高須氏の主張が認められた判決が出た後で、浅野氏のような発言がなされたのであれば、番組が謝ることはわからないでもない。しかしそれも厳密に言えば、控訴審があればひっくり返る可能性があるので確定した訳ではないのだけれど。要するに訴える側は、訴える権利があるのだからそれを戦術にもできるであろうが、放送するTV局は、懸案の問題に対しては中立の立場を保持しなければならないはずである。よって高須氏の主張に賛同する意見もあれば、浅野氏のように名誉棄損は成り立たないという意見があったとしてもそれは当然のことであり、その一方の意見か当事者の要求に番組として与することは、公共性の観点から考えても許されないはずなのである。高須クリニックはスポンサーだから要求を飲まざるを得なかったというのであれば、そもそも最初から題材として取り上げること自体が間違っていたという理屈にもなるが、ともかくも放送法の理念から考えても、中立性の絶対的な規制をかなぐり捨ててまで謝罪するような番組は、初めから存在価値がないと言えるものである。仮に係争中の同裁判が、高須氏の敗訴という結果になれば、番組は謝罪を撤回することになるのか。日本は一応は法治国家なのだから、放送法と言う法律に守られているTV局が取るべき立場とすればそういう理屈になるのではないのか。ともかくもこのようなことを一視聴者、一国民に過ぎない私が一々、かみ砕いて教え諭すように、大衆から見ればほとんど権力者と同質のマスコミに対して説明しなければならないということが馬鹿げているというか、情けないことなのである。特に前から感じていたことではあるが、あのミヤネ屋とかいう番組と宮根アナという人物は、程度が低すぎると思われる。あのような番組を放置しておくことは、日本人全体の健全な思考力や判断力を妨げるという点において非常に有害だと私は危惧するものである。特に前途のある若者がそのような有害報道番組で正しい物の見方や考え方ができなくなってしまうことは、日本にとっての悲劇でしかないものである。