龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

タレントの不倫とマスコミ道徳について

芸人の不倫話ほど下らないものはない。なぜなら、不倫が悪いということではないからである。どういうことかと言えば、人気商売などと言われるが、我々一般人がなぜこのタレントがTVに出ているのかということはよくわからないでしょ。面白いと言えば面白いし、高感度が高いと言えばそのようにも見えるが、そこに厳密な基準などないものである。単によくTVで顔を見るから、今、売れているのかなあ、といった感じで、そのタレントがいないと番組や企画が成り立たないというケースはごく稀だと思われる。ほとんどの場合は代わりがいくらでも控えているものである。でもTVにレギュラーとして出続けていれば、普通の会社員が到底、手にすることができないような大金を芸人は稼ぐことができるのである。要するに何が言いたいかと言えば、芸人が不倫をしてもその芸人が本当に代わりのいないような才能なり存在感を持っているのであれば、問題になることはないのである。その判断を下しているのは実は大衆ではなくて、TV局などのマスコミなのである。そのタレントの稀少性とマスコミとの力関係が反映しているものと考えられるが、分かりやすく言えば、大した才能もないくせに不倫などしやがって、こいつは最近、ちょっと調子に乗っているようだから懲らしめてやらなければならないというあくまでもTV局なりプロデューサーの判断で降板させられたり、謹慎させられたりということになるのだと思われる。だから本当に才能のあるタレントであれば、不倫の事実が発覚しても、それも芸の内みたいに見做されるのであろう。だから今、不倫していたり、或いはこれからしそうな予感があるタレントは、果たしてその事実が発覚した時に大目に見てもらえる価値が自分にあるのかどうかをよく見極める必要性があるということだな。まあ芸能界とはそういう世界だと言ってしまえば、それまでだが我々一般人の感覚からすれば、そういう芸能界の内輪の論理ではなくて、人として不倫はいけないみたいな道徳観が押し付けられることになっている訳でしょ。確かに芸人であれ、一般人であれ不倫は良くないことなのかも知れないが、マスコミのご都合主義的な道徳に過ぎないものが一般大衆の生活感覚に浸透して、その違いなり境界が見えなくなってしまっていることは私はやはり問題だと思うのである。これが不倫だけの問題であればまだしも政治についても全く同質でしょう。政治の問題性を具体的に指摘するのはマスコミだけで、そこに国民の感覚が反映されているかといえばほとんどなされていないものである。何が問題で何が問題でないかを決めれるのはマスコミだけで、国民はその領域に参加出来ていないのである。本当に国民にとって肝心なことをマスコミは無視して、どうでもいいようなタレントの不倫に類するような政治マターを前面に押し立てることによって、マスコミは国民に対して威圧的に睥睨しているものである。だからタレントがTV局などに対して奴隷であるように、国民もマスコミなり政治に対しては国民主権や民主主義などといっても、本当に大切な課題を自ら選ばせてもらえていないという点においては、奴隷というか囚人みたいなものなのである。獄中にある囚人の食事は、出されたものを有難く食べなければならないでしょ。娑婆の住人のように自分が選んだレストランでメニューを見て、その時に食べたいものを選択するという自由がないでしょう。日本の民主主義というのはそれと同じなのである。政治やマスコミが決めたメニューの料理を食べなければならないのであって、それが不味いとか、こんなものを二度と食べたくはないと言う自由は与えられていないのである。しかし権力とは無縁の我々大衆にも見たくないTVはスイッチを切ったり、チャンネルを変える自由はあるではないかと反論する人もいるかも知れない。だが、それは私に言わせれば、獄中の囚人が何点か出されたおかずをどの順番で食べるかという程度の自由である。囚人であってもその程度の自由は認められるであろうが、何から食べようと、それで食事が豪華になったり味がよくなったりするものではない。同様に我々国民がTVの電源を切ったり、チャンネルを変えても、日本の言論や政治は何一つとして変わらないのである。しかし何十年も囚人の生活をしていると悲しいことにそれが当たり前のようにも思えてくるのである。むしろ安全が保証されて、生命が守られているようにも感じられてきて、感謝の念すら湧いてくるのではなかろうか。政治家やマスコミ人だけが看守のような立場で、日々豪勢な食事をしていてもである。我々日本人は万人が国家に税金を納めているのであるから、本当の自由であるとか、政治や報道の質についてよく考える必要性があると思われるのだ。こういうことをいくら言ってもなかなか理解してもらえないところに、日本の深刻さがあるように感じられる。