龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本でカジノが成功するのか

何度も同ブログの記事で引き合いに出させてもらっていて多少は気が引けるが、私は何も大王製紙前会長の井川意高氏に恨みがある訳でも、悪意がある訳でもないが、同氏の著書である『溶ける』の内容は、今の日本においてあまりにもタイムリーで、重要な問題提起を含んでいると考えられるので継続して述べさせていただく。現時点で日本は、IR推進法が施行され、複数の自治体がカジノを併設したIR(統合型リゾート)の誘致に向けて動き出している段階にある。依存症云々の議論はともかくも、いずれ近い将来にカジノ場が日本のどこかに建設されることは間違いないのであろう。それで果たして日本でカジノが成功するのかどうかということであるが、この点についての井川氏の指摘は、さすがにカジノで地獄の底を見てきているだけあって正鵠を射ていると思われる。結論から言えば、カジノが日本で成功する可能性は極めて低いと考えられる。その理由については、井川氏が海外のカジノでどのようなVIP待遇を受けていたかについて説明すれば、ご理解いただけると思われる。『溶ける』によれば、井川氏が通い詰めていたマカオのカジノ場ではジャンケットという制度がある。ジャンケットとはVIP客とカジノの間で、マネージャー兼コンシェルジュとして仲介する資格を持った者のことである。ジャンケットはVIP客のために、航空チケットや送迎の車を手配したり、ホテルのスイートルームやセミスイートルームを安く泊まれるように交渉する。カジノで顧客がゲームをしている時にはずっとそばについて気分を盛り上げるための会話やアドバイスをしたり、時には休憩やルック(様子見)を促したりするのだという。顧客が家族同伴で来た時には、ギャンブルをしない家族のために観光やレストランに連れていったりもする。そのような身の回りの一切のことを引き受けつつ、最大の仕事は、客の負けが込んできた時にカジノに対する借金の手配をすることである。当たり前のことではあるが、カジノ側からすればどんな人間かわからない相手に対して何千万円や時には億単位のチップを貸し出すことはできない。ジャンケットはカジノと顧客の間に立って、VIP客の信用保証をする役割も兼ねているのである。井川氏の多額の負けは、手元の軍資金がなくなった時のこのカジノからの借り入れを最大限に利用したことによるものである。しかしカジノが客に貸せるチップ(金)にも限度枠がある。井川氏の場合、その限度枠を超えた場合にはどうしていたかといえば、井川氏が所有しているアメックスやダイナースブラックカードは、何と3000万円まで買い物ができるらしいのだが、それを利用して金を作っていたらしい。具体的には300万円のロレックスの時計をどこかの店で10個買って、それを近くの質屋に質入れし手数料を引かれた残りをキャッシュとして手に入れたりしていたとのことである。そしてジャンケットはそういうことの店探しにまで協力していたというから驚きである。仮に私がどこかのカジノに遊びに行ったとして軍資金はせいぜい20万円程度であろうが、5000円位ずつちびちびとチップを張る勝負をして全部すってしまった場合、私は井川氏のようにカジノで金を借りたりすることはできないから、20万円の金をなんとか取り返したいと思ったとしてもすごすごと撤退する以外にないものである。またカジノはどこにおいても大勢の客が出入りして少額の金で勝負をする「ザラ場」とVIP客専用の個室の棲み分けが、なされているとのことであるが、カジノの経営は数千円程度のチップをちびちびと賭けるようなザラ場の客だけを相手にしていてはどうも利益が出ないということのようである。それで井川氏のように超VIP客からいかにして大金を吸い上げることができるかが、カジノ経営の成否の鍵といっても過言ではないものである。ジャンケットの制度はマカオ独自のものであるとのことだが、マカオでは1ゲームのベットの上限が約2000万円であるのに対し、シンガポールの「マリーナ・ベイ・サンズ」というカジノでは最大で約3900万円まで1ゲームにつき賭けることができたということだ。それで井川氏はマカオでの負けをシンガポールで取り返そうとして、最終的に総額106億8000万円まで負けが膨れ上がってしまったものである。要するにカジノ経営とは井川氏のような大金持ちの超VIP客をザラ場の客と明確に区分して気持ちよく遊ばせ、下品な例えであるが尻の毛まで根こそぎ抜いてしまうような独自のノウハウがなければ成功しないものであるようだ。井川氏は実際にその獲物になったようなものである。それで日本国内で果たしてマカオのジャンケットに類するようなことができるかと考えれば、民間の業者に委託したとしても、日本の精神的な土壌から考えると到底、そこまでのことは不可能であろう。また無理をしてやるといろいろな問題が発生してくることが予想されるものである。カジノとは娯楽であるというよりも、生きるか死ぬかの戦場のようなところであって、それに適した姿勢で臨まなければ今のパチンコに多少の毛の生えたようなものにしかならないであろうし、そのようなショボいカジノでは必ず失敗するであろうことが予想されるものである。結局は日本のカジノなど、貧乏人といっては何だが、私のような(私はカジノをするつもりはないが)庶民から1日に20万程度の金を落とさせることがせいぜいであろうと思われるものである。そしてそういう人間が主なターゲットになっていると後が続かないものである。無い袖は振れないということと、経済力のない非金持ちの庶民は借金をする能力も低いので、井川氏のように打出の小槌のように金を作ることなど不可能だからだ。だから日本人であれば、興味本位で1~2回、国内のカジノで遊んでもそれっきりになるというパターンがほとんどだと予想されるものである。そういう風に考えると庶民にとってはカジノよりもパチンコの方がよほど危険である。パチンコは1日に2万円の軍資金で遊べるであろうが、通算して100回、2万円を負け越せば合計で200万円のマイナスになる。パチンコで年間に200万負け越している人間など日本には無数に存在するであろう。ところがカジノは1日に20万円を2日続けて負ければ、それに懲りて止めてしまうパターンがほとんどだと思われるので、トータル40万円の損ですむことになる。結局はカジノとは数百万円とか数千万円の金を瞬時に用立てできる井川氏のような金持ちをどれだけ抱え込むことができるかであると思われるが、日本の政治は伝統的に貧乏人や庶民の金を吸い上げる思考回路しか持ち得ていないので、カジノ経営には向いていないのである。外国のように富裕層のVIPを取り込んで、その金を一夜にして身ぐるみ剥いでしまうような意思がなければ、いかにもショボくさいカジノにしからなないであろうし、庶民を相手にするギャンブルであればパチンコに適うものはないであろう。日本は政治的にも変な平等意識というか、金持ちも庶民も差別しないで処遇するという考えに覆われているので、カジノで成功するノウハウを独自に作り上げていくことはきわめて難しいと考えられる。競馬や競輪のようにある程度の固定客層を確保するまでには至らずに頓挫(閉鎖)してしまう可能性の方が高いと思われる。競馬や競輪はギャンブルであると同時にどこか日本の文化にもなっているが、果たしてカジノが日本の文化になり得るかどうかという観点から考えるとわかり易いであろう。それから関連して言うのであれば、中国人などインバウンドの金持ちをターゲットにするということについてであるが、その点についても井川氏が『熔ける』で指摘している通り、今や中国経済の雲行きも怪しくなってきており中国の富裕層と言えども財布のひもが固くなってきているということと、井川氏が海外のカジノにおいて億単位で負けても借金はツケにしてもらえて、向こうからわざわざ日本までその金を回収に来てくれたとのことであるが、その方式が中国人相手に通用するかということである。中国人の金持ちといえども1億や2億も現金を持って日本に来るわけにはいかないであろうから、日本のカジノで遊ぶとなると必然的にツケにせざるを得ないであろう。ところが井川氏は、中国人の富裕層は日本のカジノで負ければ、そのままカネは返さずに、二度と日本の土は踏まないであろうと言うのであるが、その洞察は正しいのであろう。中国の地元実力者は、政府や警察やヤクザともつながっているので、そのカネを無理やり回収しに行ったところで、政府や警察、ヤクザなどから返り討ちに遭いかねないというのであるが、確かにその通りで井川氏のように負けた106億円もの大金をそっくりそのまま綺麗に完済することを中国の富裕層に期待することは難しいであろう。そうであれば国外の客に対して回収するノウハウも必要になってくるものであるが、まあそういうギャンブル上の金も日本の隣国に対するODAや戦後補償の賠償金のようにふんだくられることが落ちであろう。日本のカジノで負けた金など支払う必要性はないなどと中国や韓国の政治であれば平然として言いかねない。さてそうなった時には安倍総理自民党の政治家たちがどんな顔をするのか、今から楽しみである。或いはそういうことも既に想定内なのであろうか。