龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本人よ、日本の虚無を見よ。

北朝鮮がミサイルの発射をしたり核実験をすれば、安倍総理自民党の政治家は内心では喜んでいることであろう。言うまでもないことだが、国内の支持率が急激に上がることはないにせよ、下げ止まって微増に転ずるからである。今の報道を見てもわかる通り、加計学園の問題以降、安倍総理へのバッシングは、攻撃止めの掛け声があったかのようにストップしている。何らかの外圧が生ずれば、国内問題にいつまでもかかずらっていられなくなり、世相が保守に一時的に移行するものである。リスク回避でドルが売られて、円が買われるのも同じである。しかし自民党が現実的にこの危機を解決したり、収束させることができるかと言えばそんなことはない。ほとんど無力である。安倍総理がいつものように「断固として許さない」とアナウンスするだけのことで、様子見をする以外には何も対策を講じている訳ではない。しかしムード的にはこういう状況下では自民党の支持率をこれ以上に引き下げることは好ましくないという空気感が漂うものである。それでは一方の野党はこういう時に存在感を示せるかといえば全くの反対である。むしろこういう時に無理をして野党が存在感を見せようとすると、国民の反感を買ったり、日ごろの主張の矛盾が露呈することになるので静かに黙っていた方が得策だという判断になるものである。それで結局は自民党の支持率が持ち直すということにもつながるものである。まあこの程度のことは私がわざわざ解説するほどのことでもない、語られざる常識なのであろうが、それでは日本の政治とは一体何なのかということをあらためて問い掛けたいのである。自民党は一応は保守ということになっているが、現実的には無力であり、保守的なムードをそこはかとなく醸し出しているだけである。一部の野党や戦後の左翼的なイデオロギーに深く啓蒙を受けている人々は、安倍総理憲法を改正して日本が戦争をする国に戻そうとしているなどと主張するものであるが、今の自民党や日本の状態を見て、本当にそれが適切な見方だと言えるであろうか。そうではないであろう。そのようなイデオロギーの対立軸そのものが、実は戦後のGHQによってもたらされたWGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための洗脳工作)による占領政策の中の民主主義なのであって、日本の左翼は自分たちの精神性が、戦後アメリカによる洗脳工作の延長から脱却できていないことを自覚できていないのである。だから国内問題だけが政争の具になるのであって、政争といっても高度なものではなく、単なる足の引っ張り合いである。だから日本の国政政治はいつまで経っても、国民の生命と財産を守るための機能を果たすものには成り得ないで、何と言うべきか、単に形式的なだけの、本質的には無意味、無駄、無価値の存在でしかないものである。無意味、無駄、無価値、この三無を国民の一人一人が今こそよくかみしめていただきたい。こんな三無の虚構装置に膨大な税金が費やされて、政治の世界にはじゃぶじゃぶと金が余っているので、政治家はそれを本来の目的に使うことなく、絶えず不正に横領したり、蓄財させようとすることの動機付けとなっているものである。政治家同士の内輪もめのような、言葉の揚げ足取りであるとか、加計学園などの国内問題だけが政治の全てになっていてそこから一歩でもはみ出そないような精神構造になっているのである。これが戦後日本の政治の実態なのだ。そこには右翼も左翼も何も、何の思想性も横たわってはいないのである。ただ単に政治家やマスコミが言葉をいじくったり弄んでいるだけなのである。そしてそれが日本の虚無の正体なのだ。日本人はしっかりとこの日本の虚無を見つめなければならない。朦朧として見るのではなく、意識的に突き抜けるような透徹した視線で、目から光線を放って見通さなければならないのだ。