龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

馬鹿らしさの果てにあるもの

何だかもう馬鹿馬鹿しくて、選挙になど全く興味が持てないのだが。大体において日本の政治は、国民を文字通り馬鹿にし過ぎている。北朝鮮情勢がこの後、どのように展開していくかはわからないが、かつてないほどに緊張感が高まって来ていることは事実である。一触即発の事態が起こらないとも限らない。そういう意味では国難と言える。しかし国難突破と解散総選挙に何の関連があるのか。常識的に考えれば、国難であるのであれば、選挙などしている場合ではないであろう。私が日本の政治は、現実に即していても、現実に向き合ってはいないということはそういうことである。国難突破選挙だなどというネーミングは単なるキャッチフレーズであって、中身も意味もないものである。そこには何となく保守的な機運を高めなければならないようなムードが高められているだけで、自民党安倍総理の常套的な政治手法である。何でそのような無意味、無駄、無価値なことに何百億円もの公費を費やさなければならないのか。根本的な政治システムの違いはあるが、解散権を有していない大統領制においては悪政であったとしても4年間なら4年間の任期が全うされるので政治が安定しているし、日本のように政治家の問題発言に対する揚げ足取りのような追及や不倫騒動などのようなスキャンダル程度のことで、政治そのものの土台がぐらついたりはしない。韓国のような国ですら、大統領が訴追されたり投獄されるような事態が発生するが、それは大統領の任期が終了に近づいて来たり、或いは新しい大統領に移行してからのことで、何よりも目の前の政治の安定や課題に対処することが優先されているものである。まあそれが当たり前のことなのであるが、そういう意味では日本の政治は韓国以下なのである。それでは何で日本の政治はそうなっているのかと言えば、結局のところは何だかんだと言いながらそれだけの余裕があるからなのである。誤解のないように言い添えなければならないが、余裕とは国防や国民生活上の余裕ということではなくて、無意味、無駄、無価値な政治に対して膨大な金を蕩尽させるだけの財政的な余裕なのである。政治が言う通りに本当に日本の財政が逼迫しているのであれば、何よりも政治に掛ける金の生産性なり効率性が見直され、追及されるはずなのである。ところが日本は国民に対しては1千兆円を超えていて今にも破綻しそうな不安感を煽りながら、実のところは実効性の伴わない皮相的なだけの政治演劇に膨大な金を費やす財政的な余裕があるので、日本の政治の質が国民を騙し続ける以上のものには転じ得ないのである。国益と言う概念とは全く無関係に、日本の政治は純粋に政治家のためにだけに存在している虚構劇なのである。そういう根っこの部分を一人でも多くの人によくご理解いただきたいのである。たとえば例を上げれば切りがないが、消費税増税を誰が命じたのか知らないが、消費増税という言い方で統一されているでしょう。日本語的に考えても、正しくは消費税増税のはずであるが、その言い方であれば「税」が2回入っているので国民から生理的に嫌悪される危険性が高いが、消費増税というネーミングであれば馬鹿な国民に対しては、消費が増えることの税金という印象を与えることができるのでというように判断されたのであろうと考えられる。細かなことではあるが、日本の政治とは一事が万事この調子なのである。国民との対話も理解も度外視して、漠然とした雰囲気で誘導することしか考えていないのである。消費税増税分の使い道を変えるなどと言ったところで、そんな公約などいつどうなるかわからないものである。選挙対策で言っていることなど寝言と同じ程度の信用性しかないし、一旦国庫に入った税金がどのように分配、支出されるかなど最終的には国民にはわからないものである。自民党の問題だけではない。というよりも日本の政治は自民党の政治しかないのである。小池都知事希望の党とやらが、日本の政治をリセットするなどと述べているようであるが、仮に政権を獲得するようなことがあったとしてもリセットできる訳がない。なぜなら希望の党だけではなく民進党も維新の党も全ては自民党の亜流でしかないからである。亜流は亜流でしかないから、本流を変革することはおろか、対峙することも本質的には不可能なのだ。一時的な烏合の衆を形成して、だぶついた政治資金の取り合いをしているだけである。そして、こういうことの全体性が日本の戦後政治の本性であり、実像なのだ。この状況を変えていくことは並大抵のことではない。なぜなら政治だけではなくて、マスコミや司法、教育など総動員体制でこの日本の国益を放棄したような無意味さが維持されているからである。だからこのような日本の目を覚まさせるためには、数十万人が死ぬような大災害や戦争が必要だという論理にも成りかねないのだ。我々日本人が、日本の国土や日本人の生命を守るために本当に大切なことは、政治ではなくて国民全体の意識と認識力を向上させて脱皮していくことにしかないものである。