龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

ポーランド戦、観戦記

日本人の命に関わることではないのでサッカーの結果などどうでもよいと言えないこともないのだけど、これまでの流れもあるので触れておく。ポーランド戦については個人的には予選リーグ敗退の結果に終わったとしても、0-1で負けたまま試合を放棄するような戦術を取って欲しくはなかった。ルールの問題でもあるので一概には言えないが、このような戦い方の判断は、結局は結果至上主義の堕落であり、戦うことの本質的な美しさが失われているがゆえに見る者を不快にさせるだけであったと思う。世界中の多くの人間に不快感を与えてまで、決勝トーナメントに進出することに価値があるのかと言えば私はそうは思わない。最後まで点を取ることに執念を燃やして、それで負けたりあるいは警告カードを出されて予選敗退になったとしてもそこにある清々しさの方にこそ私はスポーツ本来の価値があると信じたい。
今回のW杯予選リーグの三戦を見終えて西野監督という人物の人柄や精神性というものがよくわかったような気がする。いい意味でも悪い意味でも西野さんらしさというものが選手の選考や起用から戦術に至るまで現れているように思えた。先ずこれまでにも何度か指摘していることであるが西野監督はどういう訳か強運の持ち主なのである。ハリルホジッチ前監督が解任されて、西野氏が急遽、新監督に抜擢されたこと自体が強運の現れであるとも言える。それからもう一点はきわめて日本的と言える特質であるが、人間関係に配慮した采配をするというところにある。この人間関係への配慮、気配りというものがその時々で吉とでるか凶となるかが勝運の明暗を決している。ただ西野氏は総じていえば、リスクを取る勇敢な決断というよりも、また緻密な計算によってでもなく、単に運に頼っているところが大きいように私には見えるものである。ポーランド戦の選抜メンバーに関しても大胆にも6人も変更した。これはリスクを取ったチャレンジという性質のものではなくて1勝1敗の勝ち点4で二試合を終了していて予選リーグ突破はほぼ確実というような楽観的なムードの中で、それまで控えに甘んじていた選手を起用することでチーム全体の一体感と士気を高めようと意図したものであり、まあ言ってみればトップに立つ指揮官としての勇断というよりもサラリーマン社会の中間管理職的な配慮である。ただし前二戦で不調であったGKの川島は交代させなかった。その部分に限っては川島は西野氏の決断に男気を感じて応えたのであろうか、はっきりと吉と出た。ポーランド戦の川島のプレーは見違えるように素晴らしいものであった。しかし6人の交代に関しては明らかに凶であった。攻撃陣の迫力が低下していて、得点を取れそうな気配がほとんど感じられなかった。全体的にスピードと運動量が落ちていたように感じられたし、選手間の息も合っていないのでパス回しのテンポも全体的に遅いのである。これでは格上のチームから得点を取ることは無理であろう。それでポーランドに1点を先制されて予選敗退の可能性が大きくなってくると、慌てたように乾と長谷部を投入したが、この試合で交代させた大迫、乾、長谷部の三選手は最初から出場させておくべきであった。リスクを引き受けているのではなく、運に頼ったような采配をしているからこのようなドタバタになるのである。そして最後はまたセネガルがコロンビアから点を取らないという運任せの戦術で何とか生き残ったという結末である。果たして滑稽なだけなのか、それとも凄いと言えるのか、西野氏はそういう素朴な疑問を見る者に投げかける人物である。