龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

権力に対峙する妄想の力

憂鬱だ。言葉では言い表せないほどに憂鬱で、湖底に沈みゆく遺体のように気が重い。所詮、私が言っていることは所謂「内部情報」というものではない。単なる一個人の想像、推理に属するものであり、人によっては「憶測」であるとか「妄想」などと受け取られ、批判されることを覚悟しなければならない性質のものである。憶測はともかくも、なぜなら憶測でいい加減なことを言うなとは世間一般でよく使われる喚起、警告であるが、「妄想」については社会的に禁じようとする動きはない。妄想するな、などと誰かに言われたり、誰かが言われている場面を見たことなどないであろう。誰もが妄想する。頭の中でみだりに考えたり想像したりすることを禁止したり、罰したりすることはできないものである。だからある意味では、安全地帯であるとも言えるのである。よって私は自分の身を守るためにも、敢えて私が言っていることは妄想に過ぎないと断ることにしている。はっきり言ってそのような但し書きをつけておかないことには恐ろしいからだ。自分で言うのも何だけれど、「知性」というものは、元をたどれば恐怖心の裏返しであると思う。ただその恐怖心の裏返しを私は卑屈や卑怯または利己主義にしたくないという思いが強いから、そこにはある種のユーモアの精神が醸成されてくるのだと考えている。そういう意味では今の日本のマスコミや知識人は全て(全てである)、卑屈で利己主義なだけなのである。本当の恐怖に裏付けられた或いは直視した知性やユーモアの精神と言うものが欠片も感じられない。そういう連中の仲間にだけはなりたくないと私は常々考えている。しかし妄想を安全地帯にして発言するなどと言ってもそこにもやはり不安はある。仮に妄想であるなどと宣言していても、その内容があまりに真相の核心を突いたものであればどうなるであろうかということである。私がこれから述べようとしていることはそういう現実(外部)的な心配を不可避的に伴っているようにも感じられてしまう内容である。妄想も(いや本当は出発点からして妄想ではないのだが)一線を越えてしまえば、現代にあっても戦時中の治安維持法違反のような大義で囚われてしまうことになるのであろうか。そうなると私は大杉栄のような運命を辿らなければならないのであろうか。それだけはご免である。そもそも私は何も悪いことはしていないのだし、共産主義者ですらないというのに。とんでもなく悪いことをしているのは政府の方ではないか。しかし権力と言うものは恐ろしい。その気になればどのような理由付で一人の人間の存在を消すことも不可能ではないからだ。
まあしかしいずれにしても、このような御託を並べなければならないことは私が臆病な人間だからである。それは認める。人よりも世界の背後がクリアに見えるだけに地獄界を直視しているように恐ろしくてたまらない。だが私が何を感じて、何を主張しようが日本国内でいきなり拘束されることはないであろう。それも認める。しかし海外となるとわからない。下手に外国旅行などに行けば、理由もなく逮捕、監禁されるのではないかという不安から離れることができない。もちろんその国にもよるであろうが。アメリカはどうなのであろうか。アメリカも99.9%は大丈夫だとは思うが、残りの0.1%が怖い。当面、海外に行く予定はないが、もし海外で拘束されそうになった時には、どこかの国の大使館に逃げ込んで、その国を通じて国連に人権保護願いの申請を申し立ててもらわなければならない。或いは元CIA局員、スノーデン氏のようにどこかの国に亡命しなければならない事態になるかも知れない。仮にそうなった時には私のような人間を一体どの国が引き受けてくれるのであろうか。ああ、恐ろしい。一体私は何の話しをしているのであろうか。つまりは私の頭の中の妄想はこのように止めどもなく拡がっていくということである。
さてそろそろ本題に戻らなければならない。オウムの幹部たちが口封じのように処刑されてしまったのであれば証拠はないかも知れないが、日本人全体の生命に関わる疑惑をいつまでも封殺させておく訳にはいかない。オウムの村井秀夫がニュース23に出演して、筑紫哲也氏の阪神淡路大震災は人口地震によるものかとの質問に対して、そうだ思うと答えた後にそれは米軍の仕業なのかとの問いかけに対しては、米軍とは特定できないがいずれにせよ「大国」か大国に相当するような力のある組織だと考えられると答えた。その答えの内容が原因で翌日に刺殺されることになったと私には思えるのだが、筑紫氏やTBSが予想していたように単に米国によるものと村井秀夫が答えていれば恐らくは殺されてはいなかったであろう。その理由は・・・