龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

東方の実験場と化す日本を救うためには

まだ安心は出来ないが、どうやら台風22号は現時点では日本列島の方には北上してこないような気配である。前回8日(土)に私が書いていたことと違うではないかと言われるかも知れないが、こういうことを言うと分裂症のように思われる可能性があるので本当は言いたくはないのだが、仮に私が前回の記事を公開していなければ台風22号は北上してきて21号と同じようなコースで日本を直撃して21号同様の多大な被害をもたらしていたような気がしてならないのである。これがどういうことかと言えば二つのケースがあって、先ず一つは米軍は人工台風を発生させるだけではなくて、何らかの方法でその進路をコントロールする技術を既に確立させているのではないかということである。米軍に対する疑惑の声が高まることを不安視してあわてて方針(進路)変更を決定したということは有り得ないことではない。米軍の判断と言うよりも、米軍自体は大胆不敵に暴走しているように推測されるが、米軍と共に水面下で秘密裏に動いているCIAは国内外(当然ターゲットである日本も含めてのことだが)の世論の声を広範囲に収集して、それらの意識動向にかなりセンシティブに反応しているのではないかと考えられるからである。仮に環境改変兵器による大量破壊及び殺人の非人道的な実験事実が、或いはその疑惑の真相を求める声が世界中の市民に拡散され、顕在化へと向かう潮流が臨界点を超えてしまえばマスコミもタブーとして抑止することができなくなってしまうことであろう。一旦そうなってしまえば、そして国連の場で疑惑を追及されるようなことになれば米国はもう終わりである。だからこそCIAはそうならないようにその臨界ポイントがどのあたりにあるかを見極めようとして、日々各国のマスコミ報道を監視するとともにインターネットやメールなどの膨大な情報収集を行い、分析を行っているものである。私が何度も繰り返し訴えていることの意義はそういうところにあるのであって、我々日本人が自分たちの命を守るためには、政治やマスコミに何かを期待するのではなく、何よりも自分たちの意識レベルや洞察力を引き上げて、世界的な悪の陰謀に立ち向かう姿勢を示していかなければならないのである。それがどうしてもできないのであれば人工地震や人工台風の被害で死んでいくだけの話しである。多くの人が信じ込まされているように意識とは何も票数のように数で決定される性質のものではないのである。意識とは水のように上から下へと流れていき、河川から海に注がれるように自然と拡散していくものである。だからこそ権力はそうはさせじとマスコミ情報を監視したり、脅したり、圧力をかけるなどして真実の情報の流れを堰き止めているものである。或いは秘匿された膨大な水量のダムから流れ出す水(情報)を都合よく調節しているとも言える。意識は本質的に票や言語のように分節化されたものではないので、極端に言えば一人でも立ち向かうことが可能なのである。そんな馬鹿なと驚かれるかも知れないが、少数の人間の意識で人工台風や人工地震の実施を食い止めることは不可能ではないということである。というよりももっと俯瞰して見れば、環境改変の陰謀論的な技術や実施も含めてのことであるが、近年の異常気象や大災害は全て人間の意識がもたらしている結果であると考えられる。多くの人々の意識のレベルがあまりにも低迷していて、操作されることに抵抗感がなくなり過ぎてしまっているからこそそういう意識の全体性が利用されることになっているものである。この状況はもちろん日本だけではなく世界的に言えることではあろうが、あまりにも日本が酷過ぎるのであろう。米国が日本政府の協力のもとで環境改変の実験を実施して多数の人間の生命を犠牲にしているのであれば、日米安保や5兆円の防衛予算や、憲法改正の議論、自民党総裁選はもちろん解散総選挙にも、そしてNHKや民放各社の報道にも何の意味もないことは思考停止が常態化して人々にもさすがに理解できることであろう。しかし恐らくは、というよりもほぼ間違いなくそれが日本の真実なのである。日本と言う国の実体はもはや何も無きに等しいのであって全ては虚構なのである。三島由紀夫などはそういうことが1970年の時点でよく見えていたのだと思われる。日本と言う国の実体がいかに虚ろで空疎なのものあっても我々日本人はそれでも生きていかなければならないのだ。そのためには何もデモ行進や演説などしなくてもよいのである。そのような目につくことをしても狙われて危険なだけだ。また政治家になる必要もない。日本で政治家になっても何の意味も価値もないことは現在の全ての日本の議員が自ら証明している通りである。それよりも日本人はただひたすら意識と洞察力を向上させることに邁進していくのみである。それは簡単に言えば、権力に騙されない人間になるということである。しかしそれが一般大衆にとっては途轍もなく難しいことなのであろうが。
もう一つのケースは・・・。