龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

意識と現実の関連性について

もう一つのケースとは、これを言ってしまえば前回の内容以上により一層パラノイアックの印象を与えるというか、まさに「本物」にも成りかねないので正直なところ言及することにかなり躊躇があるのだが、私の中では確信まではいかなくとも本気でそう信じていることであり、また地震や台風などの大きな災害に遭遇することと人間の意識の関連性について追及し考察する視座から見れば、前回に述べた環境改変の陰謀論的な疑惑とも底流では共通することでもあり、人間が生きていく上での意識の在り方の重要性について僅かでも警鐘を打つことに寄与することができるのであればとの思いから勇気を持って自説を述べることにする。
今、猛烈な勢いの台風22号がフィリピンに上陸しようとしているが、日本から見れば運良く逸れてくれたのか、或いはそれとも気象操作の疑惑が世界的に高まり拡散することをCIAが危惧して人為的に今回はコースを変更したのかということが前回の内容であったが、しかしいかにCIAが日々世界中の膨大な情報を収集(といっても、もちろん一定のマーキングとフィルタリングをした上での作業であろうが)して分析していようとも、私一人ごときのそれもちょっとインターネットに投稿した程度の、ほとんど読者がいないブログの一文章にCIAや米軍が反応して、そのような大掛かりな作戦を途中で変更することなど果たして有り得るのであろうかと疑問を感じる人がほとんどではなかろうか。そう言っている私自身がそう思わないでもないものでもあるが、しかしどうなのであろうか。私は全くあり得ないことではないと考えている。ではその蓋然性がどの程度なのかと聞かれれば何とも言えないが、日本政府にとっても米軍や米国にとっても、そのような悪の陰謀が単なる一部の人間(変人)の陰謀論を超えて、公に周知、認識される危険性というものは国や軍隊の存亡に大きく関わるものであるのであって、私の指摘は私自身がそうであるような無名で有象無象の大衆意識の基調を土台としつつもその全体的な流れの変革なり突然変異をもたらすことを意図して無私、無欲で投げかけられたものであるから、決して無視できる内容ではないとも考えられるということである。前回に述べたところの意識とは票数やアクセス数のように分節化されたものではなくてごく少数のあるいは極端には一人の意識の在り様がその国や地域、或いは人類の命運に大きくかかわることも有り得ないことではないということはそういうことである。ともかくも見方、考え方は人それぞれであろうが、私はあくまでも可能性の問題について論じているのであって絶対にそうだと断定しているわけではない。しかし今米国の南東部を襲っている大型のハリケーン「フローレンス」は、偽装工作として人為的に引き起こされたものだと密かに思っている。
さてそれで前置きが長くなってしまったが、もう一つのケースとは結果的に台風22号は日本本島の方には「珍しく」やってこなかったが、ここからがパラノイアックな話しになるのであるが、それは一つの現実であって別の現実では当初の予定通り21号同様に日本列島を直撃、横断していてまたしても甚大な被害をもたらしていたような気がしてならないということである。恐らくは現実とは一つだけなのではなくて複数が存在するのである。しかし我々人間は目の前の一つだけの現実を唯一無二のものとしてしかリアリティーを感じられないように作られているから、そのように深く信じ込んでしまっているのだと考えられる。これはいうなれば人間は、一つの時空に閉じ込められてしまっているということである。そしてその一つの時空の中でさらに一つの周波数に固定化されている。ある一つの周波数への固定化が洗脳というものの正体だと考えられる。だからこそTVやラジオなどの電波を統御する組織や媒体が、20世紀の半ば以降から人間を洗脳する道具として使われてきたのであろうことは、一定以上の思考力と洞察力のある人間ならば誰でもわかることである。自由主義社会の自由とか民主という観念は、実は洗脳と表裏一体なのである。よってともかくも人間は一つの時空のなかの、一つの周波数に固定、管理されてしまっているので、現実が本当は複数存在すると言う覚醒にも辿りつかないのだと考えられる。しかし実際には現実はいくつか(或いは無数に)あって一人の人間の人生のなかにおいても恐らくは分岐していっているのだと私は見ている。SFの話しをしているのではない。現実のリアリティーというものの多次元性について追及しているのである。それではどのように現実が分岐していくのかと言うと・・・