龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

現実とは何か

それでは現実がどのように分岐するかという話しであるが、その前に私がいつからそのような奇天烈で浮世離れした観念を抱くようになったかということであるが、比較的、最近のことである。2015年の11月からFXを始めたのだが、為替の値動きというものが不可解というか奇異な現象のように見えて仕方なかったということがある。これは私だけのことではないとは思うが、誰もがFXを始めた当初は、自分がポジションを持った(たとえばドルを買ったり、売ったりすること)途端に自分の予想とは反対方向に、つまり損をする方向にチャートが動き出すのである。買えば下がり、売れば上がる。そのパターンが新規で注文を入れたり、決裁する度に繰り返されるので、何かしら悪意のある存在が自分の取引をどこからか監視していて、いやがらせをされているような被害妄想に陥ってくる。とは言っても、さすがにそれで現実が分岐しているなどとは思わない。為替の値動きとはそういうものであるということをわかっているからだ。世界中の人間が同じチャートの動きを見て、取引に参加しているプレーヤーが同じような心理状態に陥り、その裏をかいたり騙すことに成功した人間が利益を手にするような仕組みになっている。自分の経験不足や相場に対する読みの甘さのせいで損をしているだけなのに、現実が分岐しているとか、並行宇宙が出現したなどと考えるのであれば、多くの人が思うであろう通りに精神科に通院した方がいいであろうし、またそのような人間が増えれば町の精神科医もさぞかし喜ぶことであろう。しかし私がFXを通じて考えたことは、これは全てのギャンブルにも通じていることであろうが、本来は無関係であるはずの自分の精神状態と外部的な現象(為替の値動きやサイコロの出目やルーレットでどの数に落ちるかということ)に主観的な見方ではあるが関連があるように見えるということがある。一般的にもFXで勝つためにはメンタルを鍛えなければならないなどと言われているのもそういうことであろう。確かにギャンブルや勝負事は調子がよくて勝っている時は勝ち続けるが、峠を越して負け始めると運を使い果たしてしまったかのように全てが裏目に出て勢いを盛り返すことはできなくなる。もちろん集中力やモチベーションの持続の問題があるので、外部的な現象そのものが自己のメンタルや内面に左右されたり、影響を受けて確率や動向が変化するなどということは常識的には言えないことではある。しかしそう考える際の常識とはどういう思考が基盤になっている常識なのかと踏み込んで考えると、それは現実というものがただ一つのみこの宇宙に存在していて、その唯一の現実の現実性が絶対に揺るぎないものとして万人が共有し得る、いや共有しなければならない記号として認識される一つのパラダイムに過ぎないのではないかということに私は少しずつ気づき始めてきているのである。どのような経過で気づき始めてきたのかというと瞑想をしたり、本を読んで自分なりに考え続けてきてということであるが、今ではそれが徐々に確信に近いものになってきている。私は物理学者でも作家でもないのでこのような難しい話しを論理的に説明することは難しいのであるが、感覚的に言えば、たとえばギャンブルに勝ち続けていたのが、急に勝てなくなって負け続ける状況に転じてしまうことについては、我々は一つの現実の延長線上で、単なる運不運や集中力の持続の問題として考えたり認識する習慣にあるが、そうではなくて勝ち続けている時と負けに転じて以降は、自分が属している現実が微妙に横に逸れているような気がするということである。逸れている現実を我々人間は無意識に統合して一つの現実として解釈してしまっているのではなかろうか。私がFXで多少の損を出す程度のことはあまりにも些少なことなので世間一般の現実というものに対する常識的な理解が揺らぐようなことはなかったのだが、あることがきっかけでこれは現実が分岐しているに違いないと考えることとなった。それは・・・