龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

基軸通貨としての役割を放棄したドル

極端な円高よりは、まだ円安の方が輸出企業の業績も上がって株価も上がって良いのか、というレベルの問題ではなくて、極端な為替の変動は好ましくないと考えることは当然である。ドルは基軸通貨である。世界で最も多く流通している通貨であるなら、その役割として一義的に安定していることが重要であることは言うまでもないことだ。アメリカの財務官は、為替介入をけん制する口実として、秩序立っているという言い方を多用していたが、本当にそうであろうか。秩序立っているどころか、殊にドル円の相場で顕著に現れていることだが、円高にせよ、円安にせよ、急激であり極端過ぎるものである。それは誰の目にも明らかなことではないのか。大統領選前後で相場の流れが急変することは大きな秩序の枠内であろうが、日本とアメリカの二国間における基本的なファンダメンタルが何も変わっていないのに関わらず、101円台前半まで円高に振れたものが、僅か7営業日後に10円近くも円安になるような動きは、基軸通貨の在り方として相応しくないものである。このような過激な値動きがことあるごとに繰り返される事態は、円高であれ円安であれ、日本の経済全体が健全性を保つ上での大きな障壁であることは間違いない。極端な為替変動のリスクを常に考慮しながら、原材料の在庫調整や為替ヘッジを行わなければならないことから、そのためのコストが大きな負担となり景気回復の足を引っ張る要因となるものである。大企業にとっては1円の為替変動でも業績に与える影響は小さくないであろうに、短期間に5円とか10円の変動は無茶苦茶である。過激な為替変動が度々繰り返される状況は多くの企業にとって、まさに死活問題であると同時に、日本の経済全体から見てもグローバリズムの中で深刻な破壊攻撃を被っているようなものである。今や日本は、貿易決済の通貨をドルからユーロに徐々にでも切り替えていくべきではなかろうか。近年、ドルの為替変動は過激さを増しているようにも感じられる。自国通貨がドルで、貿易決済通貨もドルであるアメリカのドル変動リスクは輸出入の増減に限定されるであろうが、日本のように外貨準備として120兆円ものドルを保有し、各企業が貿易決済の度にドルを買わなければならない国であれば、ドル通貨の価値が安定性を喪失している事態は、国家存亡の危機が高まっていると言っても過言でないのではないか。私に言わせれば、そういう本質的なことを日本の政治やマスコミが目を逸らして直視しないことと、現下の憲法の性質というものは深く結びついているものである。