龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本の政治は何を守っているのか

大阪都構想に向けて出直し選挙か。一大阪府民、一大阪市民として松井知事に言いたいことは、政党間の駆け引きもある程度は避けられないのかも知れないが、基本的に公明党は信用するべきではないよ。公明党の政治手法は、コバンザメではないが寄生虫のように自分より身体の大きい宿主に付着して、その相手の体力や時間を消耗、浪費させることによって自らの存在感なり生命力を高めようとする集団なので、協力とか密約などと言っても最終的に反故にされたり、裏切られることは既定路線と見做さなければならないものだ。そういう意味では韓国や北朝鮮のような国と精神構造が似ているのである。約束や取り決めを守ることよりも、政治目的が自国や自党の影響力を高めたり、保持するためにあるのだからそのプロセスの中で一旦、合意したことを有耶無耶にしたり、元からなかったことにすることに対して抵抗感がきわめて薄いのである。そういう相手に協力してもらおうと期待することがそもそも間違っているのだ。まあ政治は数だから、その時々で協力を仰がなければならないような場面もあるであろうが、中・長期的な時間のスパンにおいては、何をどのように話しを持ちかけてこようとも、それは「誑かし」みたいなものだから無視すべきなのだ。数を期待して、計算に入れるべきではない。維新の大阪都構想だけでなく、自民党憲法改正もそうだが、反対するなら明確に反対すべきであって、要するに政策には賛同できないけれど、選挙や政局の維持には協力し合ってお互いの党利党略のためになる提携関係を維持していきましょう、などというような政治は国民には非常にわかり難いし、結局は時間や金(税金)を空費しているだけの害悪なのだ。それに大阪都構想について言えば、そもそも公明党自民党大阪都構想そのものに反対の立場であるという以前に、住民投票で日本の重大な政策や方針が決定されるということを表向きの見解はともかくも、本音のところでは快く考えていないはずである。その部分に大体の断絶があるのであって、それはまた日本の民主主義の大きな壁なのである。沖縄県辺野古移設の賛否を問う県民投票も同じであるが、日本は国民が直接民主主義の方法で重大政策を決定できる環境なり成熟を獲得する地点にまで至っていないものである。むしろ公明党自民党のような政党が、間接民主主義の曖昧模糊とした調整やごまかしで直接民主主義への進歩というかそういう政治の質的変化を絶えず妨害しようとしているものである。その根本的なところをしっかりと見据えていかないことには日本の政治は堂々巡りを繰り返すだけで1ミリたりとも前進しないものである。日本の民主主義のレベルを引き上げることは大変なことなのである。今の状況を見ていると、この先100年経とうともまったく同じレベルで推移してゆくように感じられる。それは日本では政治とマスコミが、本物の民主主義を拒んでいるからなのだ。