龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

朝日新聞的な感覚について

英雄気取りのつもりか何か知らないが、韓国のレーダー照射問題で日本のある軍事評論家(田岡俊次氏)が、「失敬ではあるが、危険ではない」などと今回の騒動があたかも日本の過剰反応であるような発言をしている。先ず言っておかなければならないことは、これはどうも日本の言論の悪い癖というか傾向だと思われることだが、本当は日本は独立した主権国家なのであるから、純粋に独立国家としての立場なり見識から軍事上のリスクや脅威、国益、外交上のモラルなどについて論ぜられなければならないのであって、それはどのような意味合いにおいても世界の常識であるはずだが、日本の場合は日本を取り巻く環境や地政学的要因、国などによってその評価の仕方が、その人の思想上の色眼鏡を通して見ることによって、いとも簡単に180度、転換してしまうことが非常に多く見られるということである。たとえば韓国寄りとか中国寄りということだ。これは日本が様々な面で国家的な意思決定が主体的に行えない非独立性の弊害が言論に投影されているものだと考えることができる。まあどのような国であっても20度や30度位は評価が変わることは止むを得ないことである。しかし日本のように識者によって180度変わってしまうというような状況は、日本という国家がいかに他力本願的に外部の状況に期待、依存して存立しているかということである。田岡氏の場合は元朝日新聞の記者であるから、前回の記事の内容通りにそういう流れを色濃く反映していることも大いに関係しているであろうが。それで言いたいことというか、聞きたいことは果たしてご当人が、仮に当哨戒機に乗っていてレーダーを照射されていることを感知した時に、その取材で発言されたように危険はないから大丈夫などと鷹揚に構えていられるであろうか。レーダーでロックオンされただけではミサイルは飛んでこない、準備したり色々としなければならないことがあるなどと言っていたが、そういう問題であろうか。それはいつの時代の知識に基づいて言っているのか、軍事兵器は日々進化しているはずである。それに素人的に考えても、レーダー照射でロックオンしてからミサイルを艦内から運び出して準備するなど悠長なことをしていれば、反対に軍用機からのミサイル攻撃で撃破されてしまうであろう。通常の軍事的な危機管理の在り方とすれば、レーダー照射された時点で攻撃の一歩手前と見做すことが当然である。機上からミサイルの準備がなされているのかどうかが確認できないまでは危険性はないなどという言い分は、軍事評論家の意見としては無茶苦茶だと思われる。もっとわかりやすい例で言えば、数メートルの近距離からピストルを向けられている人を目撃した時に、本当に弾が充填されているのかどうかわからないし、少なくとも引き金が引かれるまでは危険性はないと解説しているようなものである。自分がピストルを向けられてもそのようなことが言えるであろうか。人命に関わることでこのような解説を平気で行って、世論の印象操作をしようとする朝日新聞的な神経と言うか感覚がわからないものである。結局そこにあるものは冷徹に現実を見極めようとする目ではなくて、自社や自分の意見で日本の社会をコントロールしようとする利己的な欲求があるだけではないのか。だから私は朝日新聞は長年、購読しているが未だに信用できないのである。