龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

日本の現実こそをメタ思考せよ

重要なことなので繰り返し強調しなければならないが、同じ一つの事象、問題に対してその評価や見方が180度、正反対に対立するということは、刑事裁判における白か黒か、無罪か有罪かという二者択一の真実への追求とは全く異質なものであって、日本国内にあっては、政治やマスコミが見方や考え方で現実をコントロールしようとすることから派生してくる現象なのである。本来、現実は現実でコントロールされなければならないものである。それがどうして日本は、見方や考え方で現実をコントロールしたり統制しようとなされるのかと言えば、真の現実に向き合い、掌握する「開かれた」力を持ち得ていないからである。対外的には本当の独立国家ではないということである。日本の権力が有している力とは、民衆を抑圧する「閉ざされた」性質のものでしかないのだ。たとえば死刑制度の存続や司法や刑事捜査における冤罪の発生は、閉ざされた力から生み出されてくる副産物というか、権力を維持する上で必要不可欠なシステムであると言える。正義や倫理や人権などとは本質的には位相の異なる問題である。私が死刑制度に反対なのはそういう理由からである。死刑制度の是非はともかくも見方や考え方で現実をコントロールしようとする(正確に言えば現実ではなくて秩序の維持がなされているだけなのだが、日本ではその秩序の在り方が現実の全てになってしまっているので現実をコントロールとも言い得るものである)力学は、必然的に情報を発信したり、解説する報道機関、すなわちマスコミの力を高めることに帰結する。その力の性質は影響力というよりもほとんど「権力」と言ってよいほどの支配力である。そういうことで日本は諸外国に比べても相対的にマスコミの力が強いのである。全ての国民がNHKの受信料を支払わなければならないというような国民の選択の自由を無視したような法律もそういう背景なりシステムの中に深く食い込んだ中枢的な一つの機構なのであって、当然のことではあるがそこには政治とのリンク性が土台となっている。そしてその土台がどのように我々の考え方や見方を導いていくのかと言えば、冷戦体制との関連が大きく関与しているものであるが、要するに日本を取り巻く諸外国のどこに寄り添うかという観点だけから現実を180度転換させてしまうということなのだ。本当の現実には向き合ってはいないのである。言い換えればマスコミが日本の現実を上書きするように再構築したものが、国民全体が共有する現実なのである。前回に述べた韓国のレーダー照射問題について、朝日新聞的な感覚の軍事評論家が「失敬ではあるが、危険ではない」などと解説することもそういうことで、もちろんその意見が国民全体が共有する現実になるには程遠い距離感はあるであろうが、民主主義という形式の中における二分された言論の片方という地位を獲得して、日本全体のなにがしかが維持されるという構図は否定できないのではなかろうか。そしてそこには日本の国益であるとか国防上の危機管理という視点は実質的には全く存在していないものである。政治やマスコミが国民に押し付けようとする視点、解釈が、そして虚構の民主主義的対立があるだけなのだ。そして決定的に深刻なことには、日本の政治権力がそのような構図の仕組みの中に埋没するように飲み込まれてしまっていて問題意識を持ち得ていないということである。日本の政治は選挙には向き合っているかも知れないが、現実には向き合えていないのである。安倍総理などは口がうまくて、嘘をつくのが平気だから国民は簡単に騙されてしまうのである。安倍総理だけではないが、そもそも自民党はそういう国民を騙す技術だけを営々と磨き上げてきているといえる。そしてそういうことが鳩山のような人間が首相になった時に象徴的に露わになってしまうのである。そこには与党も野党もない。自民党的な一つの政治スタイルしかないのであるが、鳩山のようなタイプは露骨に日本の政治の欠陥なり非独立性を顕在化させる結果にしかならないのだ。東アジア共同体か何か知らないが中国や韓国に寄り添うような政治を志向して、沖縄の基地問題では「少なくとも県外」などと公約しておきながらいざ首相になって見れば、肝心の時にアメリカに対して交渉どころか打診することもできない。それで結局、退陣に追い込まれて暫くしてから当然のように政治家を引退することになっても、趣味なのか信条なのかよくわからないけれど韓国に日本の戦争責任をお詫びに行ったり、性懲りもなく今頃になって辺野古への移設に反対するような発言をしてみせたり、今回のような韓国の暴挙に関しては自らの趣味に合わないからなのか朝日新聞的なだんまりをきめこむ。まあ鳩山のような人間はある意味で「別格」なのかも知れないが、今の政治そのものが二世議員ばかりで何かに飲み込まれる状況を当たり前のように受け入れている思考回路なので、政治的な現実というものが、どこの国につくか、どの組織に支持してもらうかという発想しか持ち得ていないのである。元から主体性がないのだ。だから日本の政治は、報道や解説をする立場のマスコミと対等であってもそれ以上の存在ではあり得ないのである。日本という国をダメにしているのは結論的に言えば、政治とマスコミなのである。それがわかるかどうかだ。夢物語を語っているように思われるかも知れないが、日本は最終的には我々末端の国民一人一人の気持ちと意識でしか絶対に変わり得ないのである。反対に国民が一番、避けなければならないことが政治やマスコミに「期待する」という姿勢である。