龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

韓国人に問う

レーダー照射問題がいつの間にか、日本側哨戒機による低空威嚇飛行という言い掛かりの韓国の抗議に摩り替えられて、日本政府はいつものパターンであるが、これ以上の摩擦、対立を回避して沈静化せざるを得ない状況に追いやられ、嵐が過ぎ去るのを待つような沈黙に包まれつつある。このように日韓で何らかの問題が生じると、事の正邪や筋道を一切無視して自国側に責任がある問題の真相解明を転倒させ、ただひたすら日本を攻撃、糾弾し続けるという手法が韓国の対日外交の在り方である。そのやり口はこれほどまでに強固に固定化されているものであれば、今後、未来永劫に及んで不変のものと見做すべきであろう。それで日本の政治やマスコミに改めて、問い掛けたいことは、このような国に対して、判で押したように「未来志向」とか「連携の必要性」などという言葉を今後共、使い続けるべきなのであろうか。また形式的にでも使うことに意味があるのであろうか。反対にそのような無意味で上辺だけの外交指針の表明が、韓国の日本に対する暴走を加速化させる原因になっているのではないのか。アメリカに配慮してあくまでも儀礼的に言うのであればよい。しかし内実的には韓国との経済や文化の交流は、距離を取って閉ざしていく方向性に舵を大きく転回させていくべきだ。そうでないとこのような韓国の日本に対する過激化の姿勢の下では、いつ一触即発の事態に陥るとも限らず、日本の危機管理上、非常に重大で深刻な要因になりつつあるように感じられる。アメリカのアジア戦略や、日本と韓国に対する暗黙裡の分断統治も絡んでくることなので事は、そう簡単でないことは理解できるが、少なくとも日米同盟というものが曲がりなりにも機能しているのであれば、韓国の日本に対する敵対意識と対立感情のもとでは、地域平和に貢献し得る安全で友好的な連携を維持することは困難であることをはっきりと日本の立場で主張すべきであり、また仮に主張できなくとも実際にそうなのだから日本はその現実を見据えた政治を模索すべきである。日本は今こそ、自主独立の国へと歩みださなければならない時であるが、それと同時に韓国もまた真の意味で日本から自立しなければならない時期を迎えているのだと考えられる。韓国の反日政治というものは、日本を恨みつつも、一方では日本に構って欲しいという屈折した感情と表裏一体となっているものであり、そのような複雑な韓国政治のコンプレックスの精神構造に対して表面的に友好ムードを装ったところで、結果的には日本に対する憎悪や僻みを増幅させることにしかならない。それはこれまで戦後の日韓の歴史が何十回となく繰り返し示し続けてきていることであり、それをこの先、韓国の反日政治を膨らませる方向性のベクトルで重ねていくことに何の意義があるのであろうか。意義というよりも危険性しか存在しないではないのか。今後、日韓で軍事的な衝突や暴発が起った時にその責任は誰が取るのか。ともかくも今の韓国政治の日本に対する姿勢を見ればわかる通り、とてもではないがまともに話しが出来る相手ではないし、その交流に健全性や生産性があるとは言えないものでもある。ただひたすら危険なだけだ。韓国が将来的に、日本に対する精神的な依存性から脱却することができた時に初めて、日本がではなく韓国の政治が歴史的な頸木から解放されて、真に意味と意義のある日韓関係を構築していくスタートラインに立てるのだと考えられる。そのためには日本は一旦、韓国を突き放して、日本の援助なしに自助努力だけで自立できるように促していく必要性がある。日本はもう韓国に対してするべき以上のことをしてきているものである。これ以上、何もすることはないのだ。それから韓国の国民に対しても意見しなければならないが、韓国国民はいつまでこのような韓国の政治や報道を許し続けるつもりなのか。このような韓国の政治は、結局のところは一部の支配者層の日本に対する鬱憤を晴らすためだけのものでしかないではないか。そのような子供じみた韓国政治が韓国人を不幸にしている根本的な原因ではないのか。韓国の若者が国内に職がなくて、未だに日本にたくさん働きにきているという現実は、そのような韓国の劣悪な政治がもたらしているものではないのか。これでは日本統治時代の徴用工と今も何も変わっていないではないか。能力や資質的に韓国人が、世界のレベルから劣っているとは思えないものである。韓国の政治や報道が、真っ当で正常なものであれば、韓国人はもっと豊かでレベルの高い生活を送り、精神的にも世界に良い影響を発信できる国に成り得ると考えたことは一度もないのかということである。