龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

令の原義について

何がビューティフル・ハーモニーだ。そういう体裁の良い説明に丸め込まれているようでは、全然話しにならない。だから馬鹿を相手に話しをするのは疲れるのである。「令」という言葉は、どの辞書を調べても最初に出てくるのは「命令」である。辞書にもよるが、その次に詔(みことのり)、君主の命令とある。そもそもこの令という字の語源がどのようなものであるかと言えば、私が見た新漢語林によれば、上部の屋根型をしたヒトヤネという部首は、集めるという意味と頭上にいただく冠の象形とある。つまり「戴冠」を意味しているのであって、戴冠とは帝王が即位後に初めて王冠を受けて頭に戴くこと(広辞苑)である。次にヒトヤネの下の旁が何を意味しているのかと言えば、人がひざまずいて神意を聞くさまの象形であるということだ。そこから、いいつけるという意味になったとのことである。よって令という言葉は、元々は律令制度などとともに古代中国から日本に入ってきたのであろうが、新しい君主が戴冠の儀式で人民を集めて人民に何事かを命ずる、そして人民は君主の口から発せられる神慮を貴ぶという光景が原義となっているものと考えられる。万葉集で歌われている令月であるとか、令兄、令名などの優れた、立派な、美しいという意味の使われ方は、君主の徳の高さを賛美するところから派生してきたものであることは明らかであって、令の原義が命令であることは否定し得ないことである。よって令和とは命令下の、或いは上意下達の和である。ビューティフル・ハーモニーなどの説明を聞いてわかったように気になっている人間は単なる馬鹿だ。もちろん命令と言っても自民党が、戦前、戦中の天皇統帥権を持った体制を復活させようと目論んでいる訳ではない。そんなことは有り得ないことであるし、また不可能だ。令和という元号名だけで、右傾化であるとか軍事拡大路線への転換を読み取ることもピントがずれているか拡大解釈であると言えよう。自民党や安倍政権にそのような大胆なことが出来る訳がない。

そうではなくて令和という元号に込められた意味は、単なる漠としたイメージなのであろう。そのイメージとは、日本は徳の高い天皇を中心とした農耕民族的な、平和でまとまりのある集団である。立憲君主制であるから天皇が政治に関与したり、命令を発したりすることはないが、政治機関が天皇に成り代わって権力を発動させ、命令で人民を導いていくことが国の発展や国民全体の幸福に結びついていくかのようなイメージというか祈願を令和の二文字に象徴させているであろうことはほぼ間違いないことであろう。そしてその図式というものは、本当の民主主義を昂進させるものではなくて、妨げになっている考え方である。わかりやすく言えば、国民は政治やお上の命じることを大人しく聞いていればよいのだということである。住民投票などで直接的に国家の重要施策などを決定することは、日本の国家体質には合わないということを自民党公明党は国民にそれとなく諭したいということでもある。外国のメディアはともかくも、いやしくも日本のメディアであるならばもっと日本語に対する感性を養って政治の本心や本質を見抜いていく基本的な能力が求められているのではないのか。今更、何を言っても無駄ではあろうが。