龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

闇の核心を解明せよ

よくよく考えれば見えてくることはある。プロファイリングの技法などと言えば大袈裟であるが、自分なりのプロファイリングもどきのやり方で分析、推察を重ねていくと今回の芸能人の闇営業の問題の闇の深さが明瞭になってくる。あくまでも私の個人的な意見なので以下の見解に対して、間違っているとか、ずれていると感じられたのであれば、その理由を添えて指摘していただければと思う。私は専門家でもなければプロの著述家でもないので自説に固執する必要性はないし、論理的に違うと納得できれば直ちに、撤回、訂正に応ずるつもりである。
先ず闇営業の相手である特殊詐欺グループについてであるが、その幹部の人物像についてプロファイリングしてみた。どのような特性が考えられるであろうか。犯罪者を持ち上げるようなことは言いたくはないが、数億円、数十億円規模の詐欺を行っている組織の幹部なのであるから、第一にものすごく「頭が切れる」であろうということが挙げられる。特殊詐欺だけでなく、詐欺は頭の悪い人間には絶対に不可能なことである。第二に、特殊詐欺という犯罪の性質と関連していることであるがものすごく「慎重である」ということだ。慎重さがなければ特殊詐欺は成功しない。すぐに警察に捕まってしまうことであろう。第三に、これも特殊詐欺の性質と関連したことであるが、ものすごく「相手の心理を読むことに長けている」ということだ。これについては敢えて説明する必要性はないであろう。大きな特性とすればその三点であるが、全ての項目に対して「ものすごく」という形容詞をつけたのは、特殊詐欺の統率者は幹部はその三要素が突出して高いことが人物像の特性として考えられ、その特性に見合った行動パターンを示すに違いないということだ。繰り返すが、ものすごく頭が切れて、ものすごく慎重で、ものすごく相手の心理を読むことに長けているのである。
さて今回の闇営業については入江というタレントが特殊詐欺グループとの交渉の窓口になっていた。上記のプロファイリングから推察して詐欺グループの幹部は、犯罪で得た金であるとはいえ300万円ものギャラを支払うのであれば電話の1本、2本で済ませるということは考えられない。直接、面会して信頼関係を構築しようとするはずである。幹部の男にとっては何よりもその信頼関係が命綱になってくる。なぜなら怪しまれて通報されてしまえば終わりだからである。よって幹部の男が告白している入江と忘年会の開催までに10回ほど会ったという話しは、信憑性が高いと考えられるということだ。それではそのその10回ほどの面会の中で果たして入江が幹部の男の正体を本当に知り得なかったのかどうかということである。「ものすごく慎重」な幹部の男はどのように考えるであろうか。信頼関係が熟していない初期段階の面会においては、自分の正体をばらすことはリスクが高過ぎると判断するであろうから、当然隠そうとするであろう。しかし面会を重ねて信頼関係が出来たと判断された時点では、要するに自分の正体を打ち明けても通報される危険性はないであろうということだが、反対に入江に正体を告白することによって、ある種の「共犯関係」を構築しようとするのではないのか。だから幹部の男が、入江に対して「俺たちはモシモシだから」と言って、それに対して入江がそしらぬ顔で「うまく立ち回らないとね」と返したという話しも私は非常に信憑性が高いと考えるものである。よって入江が闇営業の相手が反社であることは絶対に知らなかったと主張していることは、やはりかなり無理のある弁明であると推察される。それであ宮迫や田村亮が本当に知らなかったのかどうかという問題である。この疑問は、入江が知っていたと仮定すれば、入江からその事実を宮迫や田村亮が聞かされていなかったのかどうかということである。入江が知っていたのであれば、宮迫や田村亮に言っていないということは考え難いという以上に有り得ないことであると思われる。なぜなら入江一人だけが知っているという状況は、入江一人が罪を引き受けるということを意味するからだ。多かれ少なかれギャラは全てのタレントが受け取るのであるから、入江がそのような「男気」を示す必要性なり道理が考えられないということである。皆で渡る赤信号ではないが、その罪や心理的な負担は均等に分散されてしかるべきである。それではどのようにして宮迫や田村亮は入江からそのような事実を告げられて、タレント生命を脅かす可能性のある危険な領域に踏み込むことをある意味で説得されたのであろうか。恐らくは、「知らなかったということにすれば大丈夫だから」というような説得をされたのであろうと想像される。宮迫や田村亮やプロファイリングは敢えてしないが、彼らはそのような説得を受け入れてしまうレベルのように私の目には映る。そしてその自己保身の弁明が今も継続されているのではないのか。これがたとえば亮の相方の淳であれば、一見するところ軽薄な印象はあるが、そのような危険な勧誘の場面に遭遇する「えぇー、それはちょっと」と危機管理の意識が発動し、抵抗感が示されるように考えられる。まあそれが普通の反応であるとは思うが、要は宮迫や亮は人間的な中身がないというか馬鹿なのである。特に亮は、特殊詐欺の成績優秀者に花束の贈呈のようなことまでしていたとのことなので、知っていたのだとすれば、恐らくは知っていたであろうが、道徳心が0であると言わざるを得ない。そういう類の連中が半年か1年経って騒動のほとぼりが冷めたころに、充分、反省したからTVに復帰と言う流れが果たして許されるのであろうか。
されに言えば闇の核心はタレントが特殊詐欺グループの忘年会に参加したことではない。どういうことかと言えば、ものすごく「頭の切れる」幹部の男が、タレントを1回の忘年会に呼ぶためだけに、多大な手間とリスクを犯すことなど考えられるであろうか。常識的に考えてもそれは有り得ないことである。詐欺グループは入江を窓口にして恐らくは吉本興業のタレントと親密な関係を構築することで、芸能界の利権に深く食い込もうとしていたのだと考えられる。これは一時、半グレ集団の関東連合がやっていたことと同じではないのか。一旦、芸能界と深く関係性を結ぶことができれば後は半永久的にその利益を享受することができる。おそらくはそのような目的なり構図があったであろうと推察される。よって現在、表沙汰になっていないことがまだたくさんあるのではないのか。吉本興業もその事実に気付いていて何とかことを終息させようと考えているようにも思われる。ことの重大性、深刻性を考慮するならば中途半端な解明と決着で終わらせるべきではないはずだ。皆さんは今回の私のプロファイリングの内容に関してどのような感想を持たれたであろうか。