龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

芸能人の非常識な正義感覚

職種によっては相手が反社であっても取引せざるを得ないことがあることは当然である。TVや雑誌など各種の報道機関がアンダーグラウンドの人間から情報を入手できなければ社会の不正や腐敗を追及できないし、ひいては世の中全体の公益性が保てないではないか。報道機関だけではない。警察だって公にされることはないであろうが、内部情報提供者として暴力団員や反社の人間を密偵として利用し、その謝礼が支払われることはあるであろう。捜査のために必要性があるのであれば当然のことである。警察以外でも興信所などの調査会社が反社の人間の依頼を受けることはできなくとも、特定の調査活動の中で反社の人間を取材したり、謝礼が支払われなければならない場面があったとしてもその行為を禁じたり、批判することはできないはずだ。さらに言えば、医者や弁護士の業務はどうなるのだ。目の前で死にかけている暴力団員の治療行為を医者はしてはいけないのか。反社の人間の弁護活動を弁護士が受任することは許されないことなのか。そんなことはないであろう。相手が反社であっても公益性の追求や最低限度の人権が守られなければならないことは当然のことである。そしてそれらの行為の中で金銭の授受が行われることも避けられないことである。
自動車の販売会社やレンタカー屋が反社の人間に、車を売ったり貸したりできないのは、車が犯罪行為に使われる可能性があるからであり、同様に金融機関に預金口座が作れないのは犯罪資金がプールされることを防ぐためであって、それらは公益性の観点から考えて当然のことである。そしてそれらは報道機関が社会正義を追及したり、不正を暴き立てるために反社の人間から情報を買うことと裏表の関係ではあるが同意義であると言えよう。芸能人の闇営業の問題で、タレントが小遣い稼ぎのために特殊詐欺グループの忘年会に参加する行為と、雑誌社がその事実を暴くために証拠写真を購入する行為を同列に、一矢を報いたように得意気に論ずることが恥ずべきことである。そのような主張を何の疑問も抱かずに平然とできることが日頃から物事を何も考えていない証拠であるとも言える。良きにつけ悪しきにつけ芸能人とはやはり馬鹿の集まりなのであろうか。