龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

芸能人の知性と品性

宇宙人系についての話しをさらに進めたい気持ちはあるが、私の思考を監視している(私は狂人ではない)宇宙人或いは地底人が怒って、警告のために日本に地震を発生させているようにも思えるので慎重にならざるを得ない。
ということで宇宙人ならぬ地球人の問題について、話しを方向転換する。芸能人の闇営業についてのことだ。吉本興業の宮迫や田村亮が一連の問題で金銭を受け取っていたことを認めて謹慎処分となった。当初、ギャラは受け取っていないと言っていたことが嘘であったことは認めたが、闇営業の相手が反社であったことは断じて知らなかったことだと強調する姿勢は崩していない。さあ、どうであろうか。一般論として言えば、何か不祥事や問題を発生させた当事者がその内容について嘘をついていたことが発覚したのであれば社会的な信用を失っているので、その他のことでこれだけは信用して欲しいなどと懇願されても、はい、そうですか、じゃあその点については信用しましょうということにはならないであろう。一つ嘘をつく人間は、二つ、三つと嘘をつくと考えるのが世間の通り相場であり、自然な考え方だ。金銭の授受については調査されれば証拠が出るので止むを得ず嘘を認めたが、反社であることを知らなかった点については、知っていたという証拠が出ないであろうから、嘘をつき通そうと考えているのであれば、より悪質であり、また浅はかでもある。今後、仮に知っていたことを認めざるを得ないような状況に追い込まれた時には、もう完全に救われようがなくなるであろう。謹慎どころの話しではなくなるということだ。
「知らなかった」という弁明は微妙な問題を含んでいる。知っていても、知らなかったと強固に主張すれば、確かに客観的に知っていたことを証明することは難しいであろう。それに知らなかったという意味合いの濃淡の問題もある。宮迫らは特殊詐欺グループの忘年会に参加する前には、その現場に行く以前の段階では確かに反社であることを知らなかったのかも知れない。しかし常識的に考えれば、場に参加してその雰囲気を体感したり、グループの人間たちと直接的な接触を持てば、何かしらの危険で反社会的な気配を感じ取っているはずである。また芸能人はそのような匂いや気配に人一倍敏感な人種のはずである。これが仮に暴力団などの宴会などであればまだ「知らなかった」で済まされる余地もあると考えられる。なぜなら暴力団員との交流そのものは問題視されるであろうが、直接的な犯罪行為に結び付いてはいないからである。それに対して特殊詐欺グループの忘年会ということになれば、その場に芸能人が参加することは、直接的で具体的な犯罪を側面から支援したり応援することと同質の意味合いがあると考えられる。指が欠損した暴力団員ほど見た目的に分かりやすくはなくとも、年齢的にも会話の内容などからも反社の気配を少なからず感じ取っていたとすれば、少なくとも確信まではいかなくとも特殊詐欺の可能性の認識には至っていたはずである。そうであれば、その忘年会の直後に吉本興業を通じてことの経緯を洗いざらい報告すべきであったのではないのか。そうしていれば恐らくは会社を通じて、警察に相談されることになっていたであろうから、警察がその気になって調べればそのグループの犯罪性を半日もあれば突き止めていたのではなかろうか。そういう場に参加してしまった事自体は運が悪かったで許される余地はある。しかし参加後の対処を知らぬ、存ぜぬの無視、放置で通そうとする態度は、幼稚、無責任であると同時にそれ自体が犯罪的であるとも言える。なぜなら直後に吉本興業なり警察なりに相談していれば、そのグループを一網打尽に摘発して、その後の詐欺被害を防げた可能性が決して小さくはなかったからである。そういうことを考えれば、この問題についての今の報道は、本当に問題にすべき論点がずれているように感じられるし、宮迫や田村亮なども未だにことの重大性が理解できていないような気がしてならない。芸能人と言う人種は馬鹿なのであろうか。