龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

お笑いタレントを甘やかせるな

芸能人は本当に馬鹿だなと思うことが多いが、今回の闇営業の問題においても謹慎処分になった人間は当然馬鹿であろうが、周りのお笑いタレントで、悪いのは特殊詐欺をやっていた連中であるのにそのグループの忘年会に参加した程度のことでタレントが批判されるのはおかしいとか、忘年会に会場を貸したホテルが反社であることを見抜けなかったのにタレントがわかる訳がないなどと擁護の発言をする者がいる。まあ同業の問題で明日は我が身であるので擁護したくなる気持ちもわからないではないが、なぜ一連のことがこのような大きな問題になっているのか、全然わかっていないと言わざるを得ない。本当に頭の悪い無責任な発言である。
何でタレントの反社との交流がこれほど大きな問題として追及されなければならないのかと言えば、簡単に言えばTVに出ている有名人であるからである。タレントはTVのバラエティー番組などに1時間出演しただけで、普通の会社員の1か月の収入の何倍ものギャラを得ている。もちろんタレントによってランク付けはあるであろうが、宮迫や田村亮のようにレギュラー番組を持っていて頻繁にTVに露出しているタレントであればそれぐらいは稼いでいるであろう。仮に吉本興業が半分、天引きしたとしても、僅か1時間出演の残りの半分で会社員の数か月分の収入を得ているのである。多くの芸能人はその額を自分の「商品価値」であると勘違いしているものである。そもそも何でTVに出演している人間にそれだけ多額の金が支払われなければならないのであろうか。頭の悪い人間には何をどのように説明しても理解できないであろうが、それはタレントの商品価値やランク付けの反映ではない。もちろん近視眼的に狭い範囲で捉えればそういう評価基準になっているであろうが、社会全体を大局的に考察すればそうではなくて資本主義システムを支えるために、TVに出ているだけの無能で無価値の人間に莫大な金が支払われなければならないのである。わかりやすく具体的に説明すれば、たとえばTVのバラエティや情報番組でMCをやっていたりレギュラー出演しているタレントが普通の会社員かそれにちょっと毛の生えた程度の庶民的な収入しか得ていないのであれば、それを見ている国民は誰がその番組のスポンサーの商品を進んで買う気になるであろうか。標準的な国民と同程度の金銭感覚が、TV放映やコマーシャリズムの基底になっていれば、デフレは進む一方であり、全体的な消費は委縮するだけで拡大はおろか現状を維持することも困難である。というよりも現状においても消費税の増税で既にそのような趨勢は顕著になっているものであるが、それを少しでも「イメージ的」に緩和させるためにもTV出演のタレントには、庶民から見ればそれこそ夢のような高収入がある意味では保証されなければならない。それは日本だけではなくてフィリピンとかタイのような日本よりもはるかに貧しい東南アジアの新興国家にあっても資本主義経済であれば、どこでも同じである。TVとは資本主義経済を浮揚せしめるための「政治的な道具」である。よってお笑いタレントがTVに顔を出して、下らないおしゃべりをしているだけで得ている百万円とか二百万円もの金は、本質的にはその人間の価値や才能とは無関係であると言える。極論すれば、代わりはいくらでもいるし誰でもよいのである。もちろん舞台や寄席などで芸能人が金を稼ぐことは別である。客がそのタレントの芸を見るために選んで金を支払っているからである。しかしTV番組はそうではない。視聴率の審判は下されるであろうが、多くの視聴者は雰囲気でその番組を見ているだけであって、そこに出ているタレントを視聴者が選んでいる訳ではない。よってTVに全く出ていないタレントが今回のような反社の忘年会に参加したのであれば、知らなかった、知り得なかったという弁明は通用する余地はあると思われる。しかしTVの露出が多くて、それで多額のギャラを得ているタレントは厳しく責任が追及されることは当然だ。日本には放送法という法律があって、放送の電波は公共性が高いゆえに国家による一元管理がなされていて、たとえば外資参入の規制という保護があったり、差別用語の使用が禁止されたりしているので、反社との交流も同様に厳しく責任が追及されなければならない必然性がある。闇営業で反社であることは知らなかった、知り得なかったという言い訳は、TVに出ているタレントの立場で見れば、それが差別用語であることを知らなかったからその言葉を使いましたと言い訳しているのと同じである。たとえば入江はほとんどTV出演していなかったとか、TVにあまり出ていないタレントも宮迫と同じように謹慎処分になっているではないかという反論があるかも知れないが、入江は闇営業のブローカーのようなことをしていたのでより悪質であると言えるし、また同じ反社との交流の場に参加していたのであれば、TVへの露出度や有名度によって処分の差が付けられないことは仕方のないことである。
とにかく今の世の中はあまりにもお笑いタレントを甘やかし過ぎていると考えられる。甘やかし過ぎているから、勘違いするし、増長もするのである。たとえば覚せい剤で捕まったASKAやピエール瀧であれば純粋に才能で勝負をしていたとも言えるので、国民がまたその歌や演技を見たいと強く要望すれば、社会はその復帰を認めざるを得ないであろう。他に代わりがいないので仕方のないことである。しかし宮迫や田村亮はTVで何かのネタをしていたわけではない。単にTVに映っていただけではないか。しゃべっていたかも知れないが、あの程度のしゃべりなら大阪の「素人」でもいくらでも代わりはいる。亮などしゃべってすらいなかったではないか。資本主義経済を浮揚させるためとは言え、あの程度の能力、存在感で1時間に何百万も稼ぐ世の中の仕組みが間違っているのである。