龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

韓国政治を少しでも信用してはならない

こんなことは本当は私が指摘するまでもないことなのだけれど、心配なので一応、言っておく。韓国の議員団が日本にやってきて、日本の輸出管理の見直しについて、激しく批判するとともに撤回を要求する面談が31日に予定されている。その場において韓国側は徴用工問題についての譲歩や歩み寄りを取引材料のように持ち出してくるかも知れないが、日本はその話しには絶対に乗ってはいけない。なぜなら言うまでもなく、日本の輸出管理の手続きと韓国の徴用工判決は別案件であるからだ。別案件であるにも関わらず、韓国が徴用工問題での妥協的姿勢で日本の輸出管理見直し撤回を図ろうとする手口は策略である。韓国はWTOに提訴することを公表している。韓国がこの問題で勝訴できる可能性は、日本が韓国の徴用工判決と政治的取扱いに対して、報復的に輸出管理規制の強化を行い、自由貿易を停滞させ、韓国経済に多大な損害を与えたと認められる場合だけに限られるであろう。よって今の時点で韓国側の徴用工問題に対する歩み寄りの申し出があったとして、その態度を少しでも信用して取引するようなことをしてしまえば、韓国の言い分とすれば日本は、自国の輸出管理見直しの在り方の不当性を自認することと同義となるからである。つまり日本が一旦、韓国に言質を与えるような交渉の証拠を残してしまえば、仮に長期化してWTOでの訴訟となった場合に、その言質がマイナス材料となって農水産物の案件と同様に敗訴する可能性が高くなるし、或いは日本がホワイト国指定取り消しを撤回したとしても、韓国は徴用工問題での歩み寄りや解決に向けた政治介入の約束をいつものように平然と反故にして、日本が韓国に報復的に輸出管理の規制強化という不当な迫害を行ったなどと、慰安婦問題のように未来永劫に及んで主張し続けることとなるであろう。韓国はそういう国なのである。日本の政治も漸くにして韓国という政治の本質が見え始めてきているように感じられるが、まだ骨の髄までわかっているとは言い難い。まだまだ日本の政治は外交においては甘すぎる。話し合えば理解しあえる、歩み寄れるという幻想に支配されている。その幻想は相手国を十全に理解できていないことから生じているのだ。単純に言ってしまえば、韓国とはその政治手法の本質は、今、現在が全てなのである。今、この瞬間に相手国を譲歩させたり、同意させることで韓国が当面の利益を得たり、危機から脱却できるのであれば、将来のことなど極論すればどうでもよいことなのである。現在が全てなので、今現時点の約束や取り決めが将来的に守られなかったり、反故にされたとしても、韓国という政治の精神構造下においては、それは嘘でもないし不誠実を意味するものではないのだ。韓国、北朝鮮以外の普通の国にとっては到底、理解し難いことであろうが、これは今に始まったことではなくて韓国、朝鮮は昔からそのような民族的な体質なのである。常に今さえ良ければよいという統治感覚によって運営されているので、国造りという観念そのものがきわめて希薄なのだ。そのせいで国家体質は根底のところでいつまで経っても脆弱性から脱却できないし、国家運営そのものが、いわば常時、自転車操業の状態なのである。相手国に嘘をついたり、約束を反故にするようなことは、韓国にとっては、不可欠でなくてはならない外交手法なのであって、その部分がきちんと見極められていないと、いくらなんでも今度は大丈夫であろうと楽観視してまた騙されることが繰り返されることとなる。日本の感覚や常識で韓国、北朝鮮を判断してはいけない。韓国は国際協定を締結すべき対象ですらないし、まだ国家としてそこまで最低限の成熟にすら至れていないのである。日本の政治はそのことをよく肝に銘ずるべきだ。