龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

2たす8はなんぼや


今年小学校に入学した息子に勉強を教えていると自分自身いろいろと考えさせられ、気付くことがある。

たとえば算数についてであるが通常の設問方式は2たす8は、なんぼやという式であって10と答えれば

ピンポ-ン、正解ですとなる。そしてより早く答えられるように訓練していく。これが日本の一般的な教

育方法である。ところが最近、発見した七田式という学習方法は右脳開発的な教育方法なのだが、10と

いう解(結果)が先に提示されていて、その計算式(原因)を子供に考えさせるのである。だから当然答

えは一つではない。2たす8は10だけれど、1たす9も5たす5も10である。単純なようで、(とい

うかこれが最も単純化された一例なのだが)この発想の転換が意味する重大性には無視できないものがあ

る。算数だけの問題ではないからだ。たとえば誰かが人生において10に象徴されるものを求めて生きて

いくとする。2+8以外に、たとえば5+5や2×5、13-3、20÷2と選択肢は無限に存在するの

である。しかし2+8のみで10を求めていると人生で遭遇する諸条件や環境、運勢の変転によって2が

0になってしまったり8が9になってしまったりして挫折しやすい。

それで、これは一人の人間の生きかただけの問題ではない。社会全体が今どのような状態であり何を目指

すべきなのか。先ず第一にこの方向性というか針路に対する思考プロセスが現在の日本では明らかに欠落

している。たとえば活力のある地方を作るを10、貧富格差のない社会を15とする。学校からいじめを

なくすを20とし、子供に対する虐待をなくすを30としよう。もちろん、この場合の数字は単に象徴で

あって数の大、小は何の意味も無い。それで求める結果であるところの、それぞれの10や15や30に

対してどのような計算式を選択するのが一番いいのかという風に知恵を絞っていかなければならないはず

である。しかし日本という国は2たす8はなんぼやと問いかけ10と答えた人間だけを認め、間違えた人

間を排除するようなシステムになっている。それでその解(結果)を考える人間は官僚や一部の政治家で

あったりするのであろうが、それは本来彼らだけの特権ではないはずである。本当は全ての国民がそれな

りに、少なからず考えなければならないことであるのに彼らは国民に考えさせようとしない。考えない国

民の方が治めやすいからだ。計量化し予測がつくので便利なのである。次年度の税収の見込みを予測して

予算配分を計算するように国民の思考の質やプロセスをコントロールしようとしている奴らが一定数存在

しているのだ。それが端的に教育方法に表れているように思える。今日、日本という国が世界的な水準に

おいてアジア地域においても衰退しているのは当然なのだ。

腹が立ってきたので風呂に入る。

また会おう。

神と共に歩め。グッド、バイ。