龍のひげ’s blog

子供たちの未来のために日本を変革する

生きること、書くこと 9

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今回、私は日本の権力構造と日本の病理の関係について一冊の本をテキストに思うところを述べてゆきた

い。その本とは、オランダ人ジャーナリスト―カレル・ヴァン・ウォルフレン―によって書かれ1994

年、毎日新聞社より刊行された『人間を幸福にしない日本というシステム』というものである。この本の

出版に携わった毎日新聞編集者の志摩和生という人物があとがきに述べているところによれば、ウォルフ

レンは日本観に関して世界的に最も影響力のある著作家であるということである。日本の素顔を赤裸々に

暴きだすという“劇薬”ゆえに一部の支配者層にヒステリックともいえる反応を引き起こし、日本国内だ

けでなく海外でも様々な圧力が彼のアイデア(思想)を封殺しようとする動きがあったようだ。一方、薬

エイズ問題が大きな社会問題となっていた1996年当時、川田龍平管直人は、ともにこの本に直接

刺激されていたという。また小沢一郎が書いた『日本改造計画』が英訳されたときアメリカ人は「まるで

ウォルフレンを読むようだ。」と評したとのことであった。

私が最近、たまたま古本屋で買って読んだものは2000年に発行された新訳版の文庫(新潮OH!文

庫)でそれ以前はウォルフレンという名前も30万部も売れた本書のこともまったく知らなかった。ブロ

グのタイトルで『日本の変革を目指す』などとご大層なことを言っているにもかかわらず自らの不明を恥

じるばかりである。しかし先の参議院選挙において民主党が歴史的ともいえる大勝利をおさめたとなって

は、私は読むべき時に読むべき本に出会っていたということは言えるのかも知れない。私はこの本を読ん

でいる間、無意識に体がぐらぐらと揺れるような衝撃を感じた。今まで私が自らの詩的感覚から“日本”

に感じていた違和感や不信感が間違っていなかったことがはっきりとわかったからである。それと同時に

少し怖くなってきたのも事実である。それは隠された真実が社会的な共有意識にまで結びついている場合

それを明るみに出して暴く行為はある意味、背徳ではないかと思えるからだ。外国人のウォルフレンが書

いたようなことを日本人の私が書くのはウォルフレン以上に勇気が必要とされるのかも知れない。いつの

時代にもこれを言ってはいけないということがあるからである。しかしそれでも勇気を出しておずおずと

書くことにしよう。曲解や歪曲があるとのご批判があるかも知れないので先に言っておくが、引用箇所以

外は全て私個人の考えである。

『人間を幸福にしない日本というシステム』という邦題が全てを物語っている。先ず日本とはシステムな

のである。国家という統治機構はすべからくシステムだということは言えるのであろうが、日本というシ

ステムには“幸福”がない。それは、もともとそのように(人生において幸福が感じられるように)設計

されていないからなのだ。だから、あえて決め付けるような言い方をすれば、日本人に幸福な人間はひと

りもいない。これは絶対的とまではいえなくとも一面の真理である。などと言うと(あら、そんなことな

いわよ。私は今とても幸せよ。あなた、自分が不幸だからといって見ず知らずの他人まで勝手に不幸にし

ないでよ。)と幻聴が聞えてきそうであるが、また現実にそのように誰かに言われれば、「ああ、そうで

すか。」と答える以外にないのであるが、それでも日本という国のシステムは人間を幸せには導いてゆか

ないとしか言えない。では、その理由を具体的にウォルフレンの著作に立ち入って説明しよう。これまた

本書の原題が内容を的確に要約している。

『The False Realities Of A Politicized Society』             

政治化された社会の偽りの現実ということである。“政治化された社会”と“偽りの現実”は本書の骨子

であり、繰り返し出てくるキーワードでもある。政治化された社会とはどういうことかと言えば、公(政

府)と私(民間)が分かちがたく結びついて社会の大勢を決定しているということである。世間一般的な

認識において、それは“談合”や“天下り”を指しているように考えられるのであろうが、実はもっと根

深い問題なのだ。なぜなら、そこに最も重要な要素である“情報”が介在しているからだ。情報を上流か

ら管理しているのは新聞社や放送局などのメディアであるが、それらメディアが日本においては官僚化し

ている傾向が大きくてそのために日本の真の民主化が妨げられているとウォルフレンは言う。この認識は

パンドラの箱のような危険な真実に基づいている。なぜならそれが今日の日本における唯一のタブーであ

るからなのだ。“政治化された社会”とは背後でコントロールされたシステムであるということであり、

そのシステムを絶えず安定させ、また暴走させないために“偽りの現実”が必要となる。私は映画『マト

リックス』の話しをしているのではない。“現実”について語っているのだ。